今回のはちょっとR18的な部分があるのでご注意ください。



 

   一 

 

 年度も替わり、新入生に対するオリエンテーション。一学期中間考査も国語だけが学年トップではなかったくらいでつつがなく終了した。前期生徒会選挙が明日に迫っているが、名前も知れていて、成果も上げているため、特に心配はしていない。なによりも、当選できなかったらできなかったでやりたいことはいくらでもある。受かれば無論頑張るが、落ちればそのときだ。

「・・・リーマンショックがなぁ」

 一人暮らしの寂しい家の居間で、暖かい蕎麦茶をすすりながら呟く。

 そんないつもの食後の時間をくつろいでいると家のインターホンが鳴った。

 こんな時間に人が来る予定はない。ご近所さんだろうかとインターホンのモニターを覗くと見慣れた男が立っている。

「ちょっと待って開けるから」

 パジャマ姿のまま玄関に向かった。

 婚約者の四季夏深とは、しばらく会っていなかった。社会人で、大きな仕事も任されているのもあるが、ここ数ヶ月はほとんど海外支部にいたため、日本にすらいて居なかった。たまに、電話やメールはしていたが、いざ目の前に現れると何を話せばいいかわからなくなる。

 何よりも、会わなくなる前に、泣きつくという醜態もさらしている。ふとそれを思い出して恥ずかしくなる。

「・・・えーっと、帰国してたんだ?」

 ドアを開けると四季夏深がボストンバックを二つ抱えて立っていた。

 歳は十近く上で、身長も頭二個分近く違う。久しぶりにあった婚約者は予想外に、どこか拗ねたというか不機嫌な顔をしていた。

「ああ、こんな時間に悪いな」

「や、別にいいけど、とりあえず・・・入る?」

 居間へ通すと乱暴にボストンバックを置いた。

「この荷物は何?」

 別に土産でもなさそうだ。もし空港から直で来たとしても、荷物なら車に置いておけば済む事だ。

「・・・・・当子」

 どこか言い辛そうに口ごもる。

「・・・しばらく泊めてくれるか?」

 溜め息混じりに言われる。

「へ? ああ、別にいいけど。どうかしたの?」

 夏深の家は当子の家の何倍も広い豪邸だ。それも車を使えばそう遠くはない距離にある。たんに一日泊まるくらいならいつもの事だが、しばらくという言葉に間抜けな声を出してしまった。

「・・・親父と派手にやりあった。お陰で携帯もお釈迦で・・・先に電話くらいしようと思ったんだがな」

「おじ様と?」

 仲良し親子ではないが、仕事の関係もあってか、決して理解しあってないわけではない。タイプも似ている。似ているからこそ衝突も多そうではあるが、

「ああ。仕事の話じゃなく、家族間のしょうもない喧嘩だ。あまり気にしなていいぞ? まあ・・・深くは聞かないでくれ」

 疲れた顔をしている夏深に、小さく溜め息をつく。

「仕方ないなぁ。しばらくって事は、仕事できるように客間より奥の間の方がいっか。少し待ってて用意するから」

 お茶を出してから立ち上がる。

「当子」

 部屋を出る時に呼び止められて振り返る。

「親父には連絡するなよ?」

「息子さんが婚約者の家に押しかけてますよって?」

 冗談交じりに返す。

 

 

 選挙結果は集計後早々に職員室に貼り出された。

「あ、華ちゃん」

 当子がいつも通りの、二つぐくりの三つ編みに眼鏡姿でやってくる。

「今回新人が二人」

「おおー」

 当子はいつもどおり、生徒会長。今回はパステルバイオレットに染めた同じく二年の華 左九が生徒会副会長。左九の仲が悪い親戚、西澤 猛も書記で当選している。それに、新入生が二人、書記と会計で当選している。

「花衿 かなえ書記と島頭 静馬(しまず しずま)会計」

 どれだったかなと当子が首を傾げている。

 選挙は他所の学校よりも多く立候補者が出る。その割りに当選得票数にみたらず、以前の後期生徒会は欠員が三つ出てつらかった。

「使える子だといいんだけどね」

 一階の隅にある生徒会室に向かいながら当子がボソッと言う。

 外面のいい当子だが、自分ができるだけに他人にも厳しい面がある。

 

 

 おかっぱ頭の、小柄な女の子が生徒会室の前の廊下で、壁に凭れかかって立っていた。

「・・・生徒会の人?」

「うん」

 くりっとした目を瞬きしながら頷く。

「あ、俺も会計で」

 あんまりにも可愛らしくて一瞬声を裏返してしまう。

「島頭君?」

「そ、えっと。花衿さんだっけ」

「うん」

 小さな声だが鈴が鳴くみたいでかわいらしい。選挙演説のときにも、凄く可愛い子がいるなとは思っていたが、これから一緒にいられるとはついている。

「島頭君は、どうして生徒会立候補したの?」

「え、あ・・・そりゃ、皆の為に役立ちたいとか? でも正直、会長がきついって聞いてて、ちょっと心配なんだよね」

 笑いながら言うと、一瞬で不快そうな顔に変わった。

「だったら初めから立候補してんじゃないわよ。くだらない」

 一瞬本当にこの子が喋ったのかな?と思う低い声色で返された。

「あら、もうきてた?ごめんね鍵開いてなかった?」

 校内でも有名なツートップ。見た目は地味子だが性格がきつく、その癖人望もある生徒会長と、奇抜なヘアースタイルの副会長が歩いてくる。

「っっっ、はっ・・・始めまして。か・・っ花衿かなえですっ。これからよろしくお願いします」

 深々と頭を下げて、さっきとは全く違う緊張しきった声で花衿かなえが言う。

「よろしく。会長の滝神です。かなえって可愛らしい名前ね。かなえちゃんって読んでいい?」

「はっはい」

 上げた顔を真っ赤にしながらかなえが返す。

「えーっと、静馬 島頭・・あれ島頭 静馬君だっけ?」

 会長がこっちを見て聞いてくる。

「島頭でも静馬でもどっちでもいいっす」

 軽く会釈をして言う。

「じゃあ静馬君で」

 鍵を開けながら軽く返される。

 

 

 生徒会の若返りはいいことだ。

 西澤 猛は三年な為この前期生徒会までしかいられない。

「なあ西澤」

 廊下を歩きながらクラスメートの大静三矢が何気なく声をかけてくる。

「お前って、本気で進学しないのか?」

 クラスだけは、成績で進学クラスにさせられてしまったが、普通の大学は少なくとも考えていない。

「うん。だから、バイトも始めたしね」

 生徒会との掛け持ちはしんどいが、生徒会業務も去年よりは楽になったために、それほど大変でもないだろう。

「はぁ〜。いいよな、夢追えるって」

「そういう大静も東大法学部って言う夢あるじゃんか」

 深い溜め息をもう一度つかれる。

「何か・・・それって夢と違うだろ? 別に、貧しい人助けたいわけでもないし」

 比較的クールな大静が珍しく暗い。

「僕の場合、絵を描く以外に生きる価値が見出せないだけだし。それに、最近よく思うんだよね。百まで生きるかも知れないけど、明日死ぬかもしれないって、それなら、貧乏しても、自分がやりたい事したいって」

「一歩間違えばニート発言なのに、お前が言うとちょっとカッコイイのな」

 外見が眼鏡で運動音痴な自分より、学年で一番の金持ちで、ルックスもいい大静の方が格好がいいのにとは返さないでおいた。そういうカッコイイとは違うのだろう。

「まあ、大静が大物になったら、事務所に僕の絵を飾ってもおかしくないくらいには頑張っておくよ」

 高校三年は、多くの人間の人生の分岐点になると思う。

 

 

 生徒会室に西澤猛が入ってくる。これでも、今回の生徒会メンバーは全員揃った事になる。

「遅くなりました」

 三年でも生徒会にいてくれる猛には正直感謝している。元々は以前に生徒会役員だった新田燐火への恩義だけで入っていた人だ。今年までやってくれているのは、義理がたい。

「じゃあ、全員揃ったところで、今回はめでたく新メンバーも加入し、新しい生徒会として力を合わせて頑張っていきましょう。今日は顔合わせだけなので、とりあえず、自己紹介を、今期も生徒会会長を任されました滝神当子です。前期は文化祭があるので、色々と大変ですがよろしくお願いします」

 生徒会長として軽く挨拶をすると、目配せで左九を見る。

「副会長の華左九です。前までは書記で、いまいち副会長が何をやるかわかってませんがよろしくお願いします」

 左九から猛には目配せはないが、空気を呼んでバトンが猛に回る。

「唯一三年の西澤猛です。前は形だけは副会長でした。今回は書記にうつり、どちらかといえば、一年目のサポートに回れればいいなと思ってます」

 そこで、一旦間があき、静馬が立ち上がった。

「一年の島頭静馬です。一人会計は一人しかいないので、ご迷惑をおかけするかと思いますがよろしくお願いします」

 淡々と言ってから、代わってかなえが立ち上がる。

「か・・・花衿かなえです。書記です。生徒会に憧れて入りました。ひとつひとつ仕事を覚えたいと思います」

 真っ赤な顔で、かなえが座った。

「やー、可愛い女の子が入ったのは嬉しいです。責任だけは取らされます顧問の貞月です」

 窓際で座っていたナンパ教師 貞月薫がいつもの軽い調子で言う。何だかんだで携帯の待ち受けが赤ちゃんらしい。

「まぁ。今日は顔合わせだけなので、これで基本終わりです。あ、後できれば二人ともアドレス教えてもらえると助かる」

 生徒会は一年前と違って、平凡に始まった。

 

 

 当子の家に転がり込んだのは、親子喧嘩とは別に理由がある。喧嘩くらいいくらでもしてきた。家が広いだけに、顔を合わせない方法はいくらでもある。問題なのは、父親ではない。

 当子の家の駐車場に車を止めて、インターホンを押さず、合鍵で鍵を開けて入る。物音を聞きつけてか、声をかける前に当子が廊下に顔を出した。

「おかえりなさい。お風呂も沸いてるけど、食事が先?」

 昨日、久しぶりに見たパジャマ姿も可愛らしいが、やはりエプロン姿もいい。母親が家事をしない人種なだけに、こういう物に妙な憧れがあったからかもしれない。

 しばらく、当子との間に距離を置いたというよりも、仕事が予想以上に忙しく、予定よりも海外支部でやらなければならないことが多かった為に会えなかった。

 よそよそしくされはしないかと心配ではあったが、予想に反して、新婚生活のようになっている。

「・・・どうかした?」

 玄関で立ったままの夏深に、当子が覗き込んで聞いてくる。

「こういうのは、中々いいな」

 当子の頭を撫でで言う。サラサラとした髪は、とても触り心地がいい。

「・・・押し掛け亭主がなにいうのよ」

 確かにそうかと苦笑いがもれた。

「夏深、仕事以外のおじ様との喧嘩の仲裁なら尽力するけど?」

 少し心配げに当子が聞いてくる。

 実際、父の春夫は実子の夏深よりも当子を可愛がっている。

「・・・喧嘩も原因だが、今までとれなかった当子との時間を作りたいのもあるからな・・・親父にこれが知れたら余計に嫉妬されるだろう」

 冗談交じりにこれでこの話は終わりだと言う。

「・・・浮気はしてなかった?」

「確かめるか?」

 少し屈んで顔を近づけると、黒い瞳がまっすぐとこちらを見返す。

 ほんの一年前は逃げ回っていたのに、逃げずにまぶたを閉じた。昨日は、キスの一つもしていなかった。やる事があったのもあるが、当子の反応が少し不安だった。

「・・・ご、ごはんもうできるから」

 触れるだけのキスで、当子が顔を赤くして台所に駆けて行く。

 子供だとわかりながらも、愛しくてならない。

 長い間、我慢した。禁断症状が出てからだと、いっそう当子に対して欲求が溜まる。

 本当に、浮気ができるくらいのほうが正常だ。

 

 

「今年の文化祭も何かメインを用意するのか?」

 食後のお茶を飲みながら、夏深が聞いてきた。

「・・・うーん。正直悩んでる。同じバンドじゃつまらないし、似たようなネタじゃインパクトにも駆けるから。夏深の時は何かした?」

 夏深は昔、同じ高校で同じように生徒会会長をしていた。

「俺の場合は、逆に予算が厳しかったからな。部活動助成制度で大分経費を持って行かれて」

「ああ、気前よく出してたみたいだもんね」

 歴代の生徒会がどんな事をしていたのかは、書類上は見知っている。

「低予算で、盛り上げるのに関しては、優秀な副会長がいたからな」

 夏深が会長をしていたときの副会長は当子の親戚でもある滝神 草だ。貧困生活をしていたことを思えば、お坊ちゃんよりは確かにうまく立ち回りそうだ。

「見せ方と宣伝を工夫すれば結構いい話題になったぞ?」

「工夫?」

「ああ、昔はそれほどうちのミスコンは人気がなかったんだが、草を女装で出したら予想以上に盛り上がったな」

 写真で、若かりし夏深が綺麗な女の人に百合乃下ミスコンテストと書かれたタスキをかけているシーンがあったのを思い出す。言われて見れば、草だった気がする。

「残念ながら、俺が会長をしている間の生徒会は男からは人気がなかったからな。逆にそういう醜態をさらすと受けが良かった」

「ああ、何か解る気がする。多分今のあたしの生徒会で喜劇の一つでもやれば受けそうだし。解りやすいように役員全員仮装・・・」

 言ってから、ふっと考えが浮かんだ。

「あ・・・でもそう言うのはアリかも」

 一人呟く。

「アリ?」

「うーん。まだ構想がまとまってないけど、文化祭全部を別世界にするって言うか・・・クラスの出し物とリンクさせて、トータルポイントで何かやるって言うか・・・・・んー、ちょっと考えてみる」

 とめどないことを言いながら腕を組む。

 ふっと、夏深を見るとどこか楽しそうに見えた。

「何?」

「いや、思ったよりも生徒会が楽しそうで良かったと思ってな」

 確かに、生徒会会長になったのは夏深との賭けがあったからだ。今ではそれも無効の事で、やっているのは自分の意思だ。

「あの時、夏深が冗談半分であんな賭けを持ってきたのか、少し解る気はする。意地が悪いとも思うけど。でも、こんな面倒くさそうなことをするきっかけを貰ったのは感謝してるよ」

 言うと、いつもの苦笑いをもらされた。

「・・・俺は少し後悔してる。生徒会に当子を盗られたみたいだ」

 

 

 朝に召集はかかっていなかったが、かなえは生徒会室に顔を出した。既に来ていた当子と左九が書類を整理しているところだった。

「お、おはようございます。あの、何かお手伝いしましょうか?」

 ドキドキしながら声をかけると、当子が笑顔を向けてくれた。

「おはよう、かなえちゃん。これは前の分の整理だから気にしないでいいよ」

 確かに、既にほとんど終わっているようだった。

 ふっと、部屋の隅に大きな荷物が置かれているのが目に付いた。剣道の防具入れと竹刀だ。

 生徒会長は、剣道も強い。その姿がとてもカッコイイ。

「あのあのっ。今日・・・剣道部行かれるんですか?」

 勇気を出して聞く。

「んー。今週中に顔出そうと思ってて、正規部員じゃないけど、それにちょっと頼まれちゃってて」

 当子が困ったように言う。

「あのっ・・・その時一緒に見学行ってもいいですか・・・」

「いいよ」

 やったぁと言いそうになるのを堪える。

 

 

 当子は、何だかんだでモテる。何でだろうと思う。当子を好きな一人として、あの一本気な所とか、負けず嫌いで頑張りやさんな頃が上がるが、やはり、そういうオーラでも出ているのだろうか?

「頼まれたって・・・部長か?」

 教室に向かいながら言う。

「うん。百合乃下杯に出て、女子剣道部もあるって思った子がいたみたいで・・・月一でいいから出て欲しいって頭下げられちゃってさぁ。部長としてこられると無下にできないし」

 できれば、学校で剣道はしないで欲しい。同じ道場に通っているから、強いのは十分承知で、怪我とかが心配ではない。それよりも、今の地味な格好から、剣道をする時の眼鏡なしのポニーテール。おまけに袴姿はさらに当子好きを増やしてしまう気がする。悪くはないが、左九としてはあまり面白くない。

「あー、そいえば女子三人入ったっけ・・・」

 剣道部にも一応所属している左九は、既に新入部員から質問攻めにあっていた。二・三年が、当子のことを色んな形で吹き込んだのが要因だ。

「他のスポーツと違って、剣道って男女混ざってもやれるのがいいよね」

「本格的に部長に勧誘されんじゃね?」

「あー、やだなそれ」

 何か、今日の当子は機嫌がいい。

 

 

 四季家は、ピリピリしていた。

 滅多に本家にこない四季弥生がいる事もある。そして、弥生が本家に泊り込む理由も、四季家をピリピリとさせていた。

「あー・・・おはようございます。弥生さん。アイラおば様」

 少し遅い朝に、朝食を取ろうと開けたドアを閉めたい衝動に駆られながらも、四季 冬祈は辛うじて挨拶を口にした。

 銀髪に豊満な胸を装備したアイラ・ジェノバは冬祈の母親の義理の妹だ。歳は夏深の母 弥生と大して変わらないはずだが、それよりも若く見える。

 弥生とアイラは長いテーブルの端と端に座って優雅に朝食を取っている。

「あらおはよう。こんな遅くまで家にいていいの?」

 アイラが流暢な日本語でちくりと厭味を言われる。

「冬樹君、大学の研究は順調なの?資金が足りないならいつでも言いなさい」

 弥生が笑顔で言う。弥生から見れば冬祈は愛人の子だが、実子の夏深よりもよくしてくれている。

 普通、逆だろと思いながらもこうも離れた位置から喋りかけられて、眩暈がした。

 兄のように、早々に脱出するべきだった。

 

 

   二

 

 

 もんもんとする。

 まだ濡れた髪が頬に張り付き、長い睫毛が微かに動く。座布団を枕にして、規則正しい寝息と無防備なその様は反則だ。ピンク色の唇は男を誘うためにあるようにしか見えない。

 しかもこっちは風呂上りだ。

「・・・」

 一年前なら、うっかり無理やり食べていたかもしれない。一年前より艶っぽさが増しているから性質も悪い。

 婚約者という名目は別に婚前交渉はしませんというものではない。それに、ちゃんと・・・いや、確かに、社会的立場を考えて、嫌いであってもそうは言えないが、寝ぼけた状態恋人と・・・いや、寝ぼけている時点で駄目な気がするが・・・

「・・・ん」

 当子が、不穏な空気に気づいてか、目元を擦る。

「・・・・・・寝るなら布団でねろ」

 横に腰を下ろして、ぼんやりした目で見上げてくる当子の髪をかき上げた。

「おかえり・・・」

 可愛い顔で舌足らずに言われる。

 これは、男を落とす作戦だろうか・・・。

 思いながらも、キスをしてしまう。

「・・・っ」

 顔が一瞬で赤くなる。今日は、寝ぼけていないらしい。

「・・・・・・あ・・・も・・・・っかい」

 少し潤んだ瞳で当子が呟いた。

「仰せのままに、お姫様」

 

 

 駄目だ。

 その内身体で懐柔するか、されてしまいそうだ。

「はぁ」

 だって、夏深に触りたいんだから仕方ないではないか。

「大丈夫ですか・・・」

 かなえが心配そうに聞いてきた。小さいながらも、かなえは中々ガッツがある。気も利くし、予想以上の当たりだ。

「や、ちょっと・・・考え事が」

 いつからこんな不順な女になってしまったのだろうと気分が重い。

 今は婚約という形だが、二人の意向というよりも、世間情勢と上の判断で高校卒業後直ぐに結婚でもおかしくない関係は、当人を好きだからこそ微妙だ。いっそずっと嫌いな方が割り切れる。

「駄目だ。考えがまとまんない。華ちゃんちょっと剣道部行って来る」

 もんもんとなる頭をすっきりさせようと、立ち上がる。引継ぎもないため、今溜まっている仕事はそれほどない。

「あー、じゃあ俺も行く。まだ五時なってないし、打ち込み終わったくらいだろうし」

「かなえちゃんは見に着たいって言ってたっけ? 静馬君はどうする?」

「あー、俺は帰ります」

 静馬は比較的普通。いたら助かるが、居なくても困らない。ただ、実家は大手酒造メーカーで、色々と使えそうではある。

 

 

 剣道部部長の坂士は溜め息のような息を漏らした。

 滝神当子は、とても綺麗な剣道をする。最小限の動き剣先の動きを大きく変えくりだす逆胴は風が流れるようだ。

「一本っ」

 今日は顧問は来ていないため、坂士が審判をしていた。これは、文句なしの一本だ。

「あわせて二本」

 昔、当子・左九のコンビにうちの部はぼろかすにやられたの思い出す。

「次お願いしますっ」

 新入部員が列を成す。他の先輩にはこんな反応はない。

「はは、ちょっと休憩。私ばっかコート使うの悪いしね」

 軽くあしらって、端で面を取り出す。

 試合をしている姿が、一番綺麗だと思うのはどうやら坂士だけで、他の男子部員は当子が面を外す瞬間をちらちらと盗み見ている。当子の直ぐそばで座って見学している生徒会の新メンバーの女の子は、普通に当子をがん見している。

「なーんか。華ちゃんの気苦労は今年も耐えませんな」

 冗談半分に左九に言うと深々と溜め息をついた。

「・・・先輩、勝負したいって?」

 薄紫のふざけた色に染めた華 左九が珍しくにこやかに言う。

「お、じゃあ副審くらいしますよ」

 手ぬぐいで汗を拭きながら当子が言う。

 ポニーテールに髪をまとめて、眼鏡を外した会長は文句なしの美人だ。それに少し変化が出てきた。

 中にTシャツを着ていると解っていても、胴着の隙間が気にかかる。気にさせる魅力が出てきた。

 歩くセクハラだ。

「あーあー、高二でお色気ムンムンで普段は堅物。どこのエロビだよ」

「部長、当子部活に誘うのやめてくれませんかね」

 呟きを聞いた左九が淡々と言う。普段のんびりしているが、左九は当子のことになると直ぐに気が立つ。

「お、賭けか?」

「・・・部長が勝ってもいいことないですけどね」

 

 

 生徒会長が剣道場から更衣室に向かう瞬間はシャッターチャンスだ。

 防具をつけていないと、胸元がよく見えるし、着たてよりも肌蹴て汗を吸って貼り付く。これぞまさしくエロス。

 そんな感じの暗い青春を山田は送っている。

「確かに美人っすね」

「需要が増えてるのが癪だがな」

 写真愛好会会長の山田は、生徒会会長には部から愛好会へ降格させられたりしているが、どうも気があるらしい。新聞部の奈々瀬はこのマゾの理解はできないが、徐々に生徒会長の人気が上昇していることは認める。だからこそ、いいゴシップネタになる。

「それで、噂の婚約者とのツーショットはないんすか?」

「あ? 態々男とのツーショット撮って何が楽しいよ」

 元々親の権力をかさにきて、あまり言い噂を聞いていなかった山田が、生徒会長に夢中になってからは見事な変態ストーカーとして、悪い噂を聞かなくなった。

 ある意味凄い。

「まあ・・・そうすけど」

 確かに、好きなアイドルの彼氏ネタをニュースで見ても楽しくはない。

「もし撮れたら買うんで言って下さいよ」

「ほうほう。まかせとけー」

 

 

 一つ、大きなミスを犯した。

 公害地区のようによどんだ空気の家から離れたのは正解で、下手にホテルに泊まればアイラにばれるため、当子の家に上がりこんだ。事実数日は何事もなく過ごせている。

 だが、今後何か起きかねない。主に当子に対して・・・

「・・・」

 いっそ、落とす所まで落としてしまえば・・・

「・・・それができればな」

 一人呟く。

 身体が欲しいよりも心が欲しい。

 

 

「日々桜さんに似ていくのは止めませんか?」

 シンプルなワンピースがより映える。又従兄弟の当子は、母親に似ていく。以前のあどけない魔性が、無意識の魔物になっている。

「・・・へ?」

 真剣に書類に目を通していた当子が間抜けな声を出す。

「それにしても・・・今から新婚生活の練習ですか?」

 当子から夏深に居候していると聞いたが、どこまで独占浴が強い。

「別に普通に寝床とご飯提供してるだけだし」

 書類に視線を落としたまま淡々と言う。

「で、お嬢様への報酬は何なんですか?」

 タダで動かない可愛くない性格も母親に似ている。

「・・・特にはないわよ」

 さらりと言うが、これはある意味問題発言だ。

「・・・・・狼も・・・純真な目のウサギさんに見つめられたらさぞ喰いづらいだろうな」

 小さく呟く。

 知っていて、何だかんだでやはり大切な女の子が、性格の悪い男といちゃつく様は少し嫌だ。

「ところで、今日の商談なんですけど」

 話を本題に変えた。

「んー。なんだっけ・・・フランスのデザイナーにコラボするんだっけ?」

 新商品の開発で、何故か向こうからこちらを指名してきた。裏があるんじゃないかと思えば、案の定だった。

「でも、実質経営に関わってない小娘と話したいなんて・・・面倒くさい」

 ぼそっと当子が呟く。

 向こうのデザイナーが直々に日本に来たかと思えば、当子をご氏名だ。

「まあ、比較的リーズナブルな企画な上、ヒットするのは必至・・・悪い話ではないですからねぇ」

「まあね」

 

 

 アイラ・ジェノバは日本人では中々着れない胸元の開いた服でやってきた。とても五十前の女性には見えない。いいプロポーションをしていた。

「本物の方が、そそられるわ」

 開口一番、アイラは当子を見てそう言った。

 はじめましても、自己紹介もなしで、唐突の言葉に流石の当子も固まる。

「・・・初めましてだと思っていたのですけど、どこかでお会いしましたか?」

 フランス語で返そうかとも思ったが、英語と違ってフランス語はまだ片言だ。日本語で言われた為に日本語で返した。言いながらも、こんなインパクトの強い銀髪の外人、見たら忘れないと思う。

「あら、ごめんなさい。一方的に知っているだけなのよ。お写真を拝見する機会があって、とてもキモノを綺麗に着こなしていたから・・・私の創作意欲に久しぶりに火が点いてしまったのよ」

 握手を求められ、応じるとがっしりと捕まれて指先から腕まで舐め回すように見られた。

「・・・ええっと。ジェノバさん?」

「アイラでいいわ、当子」

 ついていけないと草を見ると肩を竦められた。

「今回、アイラ・デザインを提供してくださる条件と言うのは・・・」

 草が聞くとにこりと笑われる。

 

 

 昨日は遅かったこともあり、当子は既に就寝していたため気づかなかったが、今朝の当子は少し暗い。

「昨日。何かあったのか?」

 昨日は定例報告を受けに行っていたはずだ。あの男に会いに行ったというだけで、他の男に会いに行っただけで、嫉妬と心配している自分がいる。

「・・・ひとつ、問題が・・・・」

 今日は純和風の朝食だ。

「何だ?」

 お味噌汁を受け取りながら聞き返す。

「変な外人に見初められた」

「・・・・・男か?」

 一口味噌汁をすすって冷静を装って聞く。味噌汁に南瓜が入っているのは初めてで、美味しいが、少し納得が行かない。

「や、アイラ・ジェノバって言うデザイナーさんが・・・なんか、写真を見て気に入ったからって、モデルを強要されて・・・」

 味噌汁を、吹いてしまう。

「汚い」

「げほっ・・・悪い」

 咽こむ。

「アイラ・ジェノバって・・・言ったよな」

 軽く眩暈がする。

「うん」

 丁度当子と同じくらいの時、一時ストーカーに遭った。ストーカーの名前もアイラ・ジェノバといい、冬祈の叔母でもある。そのアイラが今家に押しかけている。アイラを苦手とする春夫が、無理やりに世話を押し付けようとしてきたことを発端に、しょうもない親子喧嘩をし、逃亡もかねて家を出た。

 アイラは悪い人間ではないが、決していい人間でも真人間でもない。

「それで、受けるのか?」

「一応は拒否したんだけど・・・アイラ・ジェノバのデザイン提供は捨てがたくって」

 人前に出るのは好きではないはずだ。

「まあ・・・アイラがデザイン提供してくれるのは魅力だな。しかも、私利私欲が絡むと二束三文で仕事をするからな」

「やっぱり・・・会社のために犠牲になるべきか・・・」

 楷書の犠牲という言葉に心臓が一瞬痛くなった。見方によれば、今の関係もそんな感じだ。

「いやなら、やめておけ」

「うーーん」

 珍しくはっきりしない返事が返ってくる。

 短く溜め息をしてから、

「アイラは・・・冬祈の母の義理の姉だ。今本家に泊まっているから何なら俺から話すぞ?」

 下手に隠すと面倒になるかもしれないと、言ってしまう。アイラは昔の事もあり苦手で、極力避けてきたが、当子が絡めば話は別だ。

「・・・ブルジョワな家計図」

 

 

 授業が終わって、今日は生徒会もない為に、久しぶりに手の込んだ料理と掃除をしようと頭の中で予定を立てる。

「滝神さんっ」

 教室を出た所で呼び止められた。

「・・・はい?」

 二年B組の荒井だったか・・・確か男子バトミントンの副部長だ。流石に全校生徒は無理だが、ある程度の人間の名前は覚えている。

「ちょっと・・・いいかな」

 部活の事かなとついていく。

 下校時間の人通りの多い中を過ぎ、特別棟まで行く。

 荒井は所謂スポーツ好青年。短く黒髪と日に焼けた肌が印象的だ。

「あー、それでさ」

 頭を掻いて、目を見ずに話し出す。

「滝神さんって・・・いま彼氏とかいるの?」

「・・・・私、個人的なことを、人に話すの好きじゃないんだけど?」

 婚約者の噂はあるし、彼氏というか、恋人というか、いるのはいる。だが、よく知らない人間に言うほど破廉恥な性格はしていない。

「や、そうだよね。ごめん急に変なこと聞いて」

 荒井の額から一気に汗が噴出す。

「いえ、別に。それより、何の御用ですか?」

 時間の余裕はあるが、帰れる日は早く帰りたい。

「・・・・あー。えーっと・・・生徒会とか頑張ってる滝神さん見てて、カッコイイて言うか、素敵だなって思ってて」

「はあ・・・どうも」

 生徒会として好感を持たれるのはありがたいが、別に呼び出して言うほどの事ではないだろう。

「それで、気になりだしたら、す・・・好きになってたって言うか」

「好き?」

 小首を傾げて聞き返すと、やっと顔を上げて、少し血走った目で見られる。少し怖い。

「付き合ってる奴いないなら、あの・・・興味本位でもいいから、お、俺と・・付き合って、見ない」

「・・・・」

 比較的、こういう事には鈍いといわれてきた。それでも、夏深との関係もあって、少しは敏感になってきたと思っていたが・・・

「すみません、好きな人がいるので、付き合えません」

 そういうことならば、初めの質問に答えておけばよかったかなと思う。

「そ、だよね。なんか、ごめん。どんどん可愛くなってくから、いるのかなとは思ってたし・・・」

 こういう空気は苦手だ。逆の立場ならぞっとするし、自分ならよく知らない人間に告白なんてできない。

「せ、生徒会頑張ってね。滝神さんのファンなのは変わんないし」

「うん、ありがとう」

 ここで、ごめんなさいばかり言うのも駄目かなと、短く返す。じゃあと、荒井が逃げるようにその場を去った。

「・・・はぁ〜」

 こう言う事が噂になると面倒だなと思ってしまう自分がいる。

 それにしても、好きな人がいると改めて言うのは今更ながら恥ずかしい。

 今、夏深に会いたくなってしまっている。

 

 

 相変わらず忙しい仕事を効率よく消していく。

 アイラから逃げる目的もあったが、当子と毎日会えるのは思った以上に仕事をやる気にさせる。早く終わればそれだけ長い間一緒にいられる。

『兄さん。帰ってきてよ』

 夕方に、弟の冬祈が暗い声で電話をかけてきた。別に仲良し兄弟ではないため、電話をしてくるのは珍しい。

「・・・無理だ。仕事が忙しい」

『あの猛吹雪の中平気でいられるのは父さんか兄さんくらいだよ? 僕じゃあ胃に穴が開くよ』

 情けない声を出される。

「アイラだけならまだしも、あの母親の相手は無理だ」

 正直産みの母親の方が苦手だ。

「もうしばらく戻るつもりはないから死なない程度に頑張れよ」

『兄さん今どこにいるの? ホテルじゃないって事は・・・まさか当子ちゃんの家? 駄目だよ。婚約者でも未成年の女の子の一人暮らしに上がりこむなんて、犯罪だよ』

 溜め息が出た。

「・・・俺は忙しい」

 ぶちっと切る。

 冬祈は人当たりがよく優しい人間だとよく言われるが、無神経で辛辣な事をいう人間だ。

「・・・はぁ」

 犯罪行為は今のところしていない。

 キス止まりって・・・純情すぎるこの恋愛に、自分の身体がついていけない・・・。

 仕事にやる気は出るが、色々と、身体に悪い・・・。

 

 

 アイラ・ジェノバは校門に横付けした真っ赤な車の中で、芋臭い学生をじいっと観察していた。

 十代後半の若人には、稀に原石で既に光を放つものがいる。それを見つけて磨くのは、無上の楽しみだ。

「・・・だっさい子ばかりね」

 フランス語で呟くとマネージャ兼運転手のジェシカが肩を竦めた。

「道楽の前に仕事してください」

「馬鹿ね。道楽が仕事なんじゃない」

 前から、一際輝く少女が歩いてくるのが見えた。

「ハイ。当子」

 窓を開けて呼びかけると、眼鏡に三つ編みのストイックな少女が振り返り、一瞬物凄く嫌そうな顔をした。

「・・・アイラさん。何か御用ですか?」

「個人商談をしに来たの。乗ってくれるわよね」

 にこりと微笑んで言うと、一度短い溜め息をつかれた。

「わかりました」

 滝神 当子の魅力は、ストイックと色気が混ざったところだ。

 本物を見てからは色々なデザインが浮かんでくる。

 もっといいものを創りたい。

 

 

 非通知で携帯が鳴る。

「はい、もしもし?」

 いぶかしんで電話に出ると少し間が開いた。

『・・・ああ、冬祈。元気にしてるかい』

 電話の相手はとても懐かしい人だ。

「ええ、叔父さんもお元気そうで・・・それで、何か御用ですか?」

 電話の相手はとても懐かしい、何故なら用もないのに連絡が来ないからだ。

『そちらにアイラがお邪魔しているんじゃないかと思ってね。今私も日本に来ているんだが、連絡がつかなくてね』

「ああ、きてますよ。折り返し連絡を入れるようにお伝えしましょうか?」

 聞き返すとまた返事に間が開いた。

『いや・・・、実はまだあれには日本にいる事は黙っているんだ。驚かせたいことがあってね』

 叔父は父である春夫とは仲が悪い。だから、四季の家に関わる事も非常に少ない。

 四十前半の叔父は、生粋の英国人で、映画俳優のような顔立ちをしている。その上、有名ブランドの看板デザイナーを妻に持つやり手の投資家だ。

 血縁でありながら、実感の湧かない人でもある。

 その叔父が少し楽しそうな声をしていた。

 

 

 




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切れ切れだなぁ。と徐々にマシになるはずです。