五   リスク





「ああ、こりゃ負けたな」

 滝神 草は感服して腕を組んだ。

 どこかのクラスの作ったアーケードを潜りながら、横を歩く夏深を窺った。

「・・・何だ」

 仏頂面の夏深が冷淡に言った。余程きたくなかったのだろうが、あんな面白い脅しをされては来ない訳には行かなかったのだろう。

 あれをお嬢様に売り渡すのも有りだったが、やはり修羅場は生で見るに限る。

 ヤジロベエの真似事のように離れた位置でバランスを取って、頭が良いんだか悪いんだか解らない馬鹿な事に神経をすり減らしている馬鹿な旧友と間抜けなお嬢様の関係を崩すのも中々楽しいだろう。

 まあ壊れたら壊れただ。その時は優しい親戚のお兄さんが当子を慰めてあげよう。

「中々の企画力だとは思わないか?俺たちのやった文化祭よりも活気があるし完成度も高い」

「ああ、全くだ。親父は実の息子達よりも当子へ出資してくれるらしいな」

 機嫌の悪いときはつくづくつまらない男だ。

「あ、あのすみません」

 入って早々に女子高生三人に呼び止められた。

「何ですか?」

 草が愛想良く聞き返すと、小突き合った後一人が意を決したように言ってきた。

「あの、ミス・ミスターコンがあるんですけど・・・生徒推薦も有りなんですよ・・・それで、出てもらえませんか?」

 昔にもミスコンはやった。ただ、女子に悪ふざけで女装させられて草が名誉あるミス百合乃下になったが、

「御免ね。女の子と待ち合わせあるから」

 笑顔でスルーして、いくらミスターでも二度も百合乃下に輝きたくない。忌むべき思い出だ。これから何組声をかけられるだろうかと面倒臭く思う。

「で、態々つれてきて、何をさせたいんだ?」

 歩きながら夏深がウンザリした声を出す。

「別に、ただ母校の文化祭と言うのも懐かしいだろう?」

 丁度屋上から青い大幕が下ろされて、校舎の一部が空と同化した。





「手伝っていただいて助かりました」

 猛の大作である大幕を下ろし終えて、当子はやっと一息つけた。

「いいっていいって、はやく西澤の絵出したかったし」

「そーそ」

 西澤の友人たちが気軽に言った。

「西澤先輩の仕事もやって下さって助かりました。流石にそちらまで手が回りませんでしたから」

  西澤に頼んでおいたらしく、二年の企画の最終チェックはこの友人たちでやってくれた。ノリがいい分学内では顔が聞くらしく、トラブルもなくいけた。かと いってただ見ただけでなく、不具合や注意までちゃんとやってくれていた。猛の顔に泥を塗るような事はしないだろうし、根は真面目そうなのである程度信頼し ているる

「いいよん。俺猛のお願いにはてんで弱いからっ。普段頼らないぶんたまにお願いされちゃうとぐっとキちまうんだよな」

「ま、この馬鹿はほっといて、ダチの手伝いしただけだから。この後も猛の仕事は聞いてるしやっとくから安心して」

 猛はリコール時のただの人数稼ぎだったが、予想外に使える。

「助かります」

 開園直後に猛が最後の一筆を入れて力尽きてから、縦にしてもたれない程度まで乾くのを待って出した。既に午後前だ。

 猛は完全に三日徹夜で疲労困憊で深い眠りに入ってしまって、恐らく文化祭は楽しめずに終わるだろう。まあこちらも仕事が多くて実際回れる時間などほとんどないが、





「夏深。あれはおまえんとこの陰険ママと小憎たらしい妹じゃないのか?」

 草が何の控えめもなく毒を吐きながら指さした先に、確かに弥生と秋江がいた。

「それに不幸の元凶のお嬢さんもいるじゃないか!」

 至極楽しげな草を蹴り飛ばしたくなった。

 弥生の横には小奇麗に身なりを整えて気合十分の詩織嬢がいた。

「やはり弱小会社の若社長としては挨拶をしないわけにはいかないよな!」

「今日は全部奢ってやるから道を変えるぞ」

 これ見よがしに態々見つかりに行こうとする草の肩を掴んで夏深が至極不機嫌そうに言った。

「おいおい、いつまでも高校生みたいな事が通じると思っているのか?」

 言いながらも方向転換をする所には好感を持ってしまう。

  貧乏性と言うのか、がめついと言うのか、昔から物を頼むときは奢るの一言をつければ文句を言いながら聞くのだ。元々特待生入学で授業料免除で入れるほど頭 が良く女にもモテ、柔道部の主将と生徒会副会長をしていた優等生で、それを鼻にかけた素晴らしい性格の嫌味な男だったが、逆に貧乏なのを隠しもしない性格 は好感を持っていた。

「どっちにしてもあのハイエナの様なお嬢さんとお前の性格の捩れた母上は何とかしないと、永遠お嬢様と安心していちゃつけないんじゃないのか? 権力のある人間は生殺しが得意だからな」

「・・・言われなくとも裏から手を回している」

 やはりペンキの塗り替えされたくらいしか代わっていない母校に戻ると少しは若返るらしい。高校時代クールだと言われていた草が実はしゃべりだと知っている人間はどれほどいただろうか? それも嫌味とお節介は得意分野だった。

「あの四季 夏深もたった一人の女の事では形無しだな」

 恐らく死ぬまでこのネタで馬鹿にされるのだろう。おまけに脅しのネタにもなる物を渡してしまったのは大損だ。





 愛想笑いを浮かべながら、詩織は態々餓鬼の遊びに行くなんて糞だりいと毒づいた。

  まあ、財閥系で一味を争う大手の跡取り息子、オマケに顔良しルックス良し頭良し!こんな上玉一生ゲットできないかも知れない。それを考えるとちょっとくら いの苦労は我慢しよう。こんな良い女を放って置く男なんて不能か屑くらいだ。ああいう男は初心な生娘に欲情するタイプだ。一度既成事実作ってしまえば、お 父様に泣きつけば何とかしてくれるだろう。

 今日で落とすっ。





「ねー。ホントに俺倒れなきゃ駄目スか?」

 控え室で不服気に渋が聞いた。

 サングラスに髪をアップに上げた細身の女性がくいっとサングラスを上げながらにやりと笑った。

「当たり前じゃない。そうでなくては私の目的が達成できないもの」

「・・・・俺がいなくちゃ始まんない奴もあんだよ? ホントに俺がいなくても大丈夫何スか?」

「当たり前よ。その為の仕込みは万全よ!」

 女が、自信満々に言うのを他のメンバーは楽しそうに眺めていた。







 今の所滞りは起こっていない。問題や喧嘩等もない。今のところは万事オーケーだ。そういう事がないように色々とやってきたのだから当たり前と言えば当たり前か、

「凄いわねぇ」

 舞台調子の最終確認をしにきた当子に大和が心底感心した声を出した。

「食品だけの出店でなく色々と見る楽しみも推進しましたから、一日いても結構楽しめますし、何よりライブまでは大体は残るでしょうから、自然と活気は付きますよ」

「普通文化祭って言ったらもっとちゃっちいし・・・私の時は意見がそれぞれありすぎてまとまんなくなったて変な感じになったものよ」

 確かに、統括者がいないと色々と大変だろうが、有能な人間がトップに立てば自然といいものができる。ただ、上に立って独裁的に指揮をとる場合、失敗の責任は全てこちらに来る。今日は一日一切気を抜けない。

 それなのに、頭の一部をたった一人の男の名前がチラつくのを追い出せない自分がいる。

「ところで、当子ちゃんはミスコンでないの?食券とか商品券で結構出るんでしょ?」

 急な話の転換に肩を竦めた。

「別に興味ありませんから、ミスコンは先輩の希望だったんですよ。それに、ほら燐火先輩いるじゃないですか? あの人が出たら勝ち目ないですから出ません」

「当子ちゃんって案外目立つ事嫌いよね? 地味なカッコして周りの目を誤魔化しているし。夏深君といる時の格好なら多分ミスコ・・・」

 夏深の名を出して大和がしまったと口を噤むのを見て、再び肩を竦めた。

 今更名前が出たくらいで動揺などしない。常に頭に回っている以上、言われなくても姿を捜してしまっているのだ。

 来ているなんて限らないのに、

「気になさらないで下さい、もう割り切ってますから」

 割り切れるくらいなら唯の金属の輪を手放せるはずなのに、肌身離さないなんて言える訳がない。





「やっちゃったなぁ」

 当子が去ってから大和は一人ぼやいた。正直あの二人がペアルックでいちゃついていたら気持ち悪いが、好きあっているくせに素直にならないのを見るとどうにももどかしい。

 夏深のあの場面を見たときはこちらも頭にきたが、他の女に手を出していようがいまいが、夏深の本命が当子であるのは当子が熱を出したときに大和に看病を頼む時点で解っていた。今更心変わりしたとも考えにくい。

 まあ人の恋路なんて知った事ではないが、当子がもう少し素直にさえなれば万事上手く行くだろう。

 付き合いは短いが、当子が他人を排他する節があるのは解る。他の学生と喋っているのを見た事もあるが、器用に一線を引いている。あれを夏深にもしているなら、どれほど夏深が頑張っても意味はないだろう。

 好きならもう少しさらけ出さないと真の意味で進展などしないだろうに。

 ああ、見ていてモドカシイ!







「あ、夏深さん」

 昼を過ぎた時分にやっと獲物を発見した。来ていないんじゃないかと不安に思っていた為自然と嬉しい顔ができた。

「・・・こられていたんですか」

 声をかけられてやっとこちらに気付いた夏深が無表情に言った。

 夏深の横にいる夏深よりも人当たりの良さそうな青年がいて詩織たちに軽く会釈をした。これまた外見良しだ。だが、目的は夏深である以上よそ見はいけない。

「捜したのよ夏深。悪いけど私はこれから用があるから詩織さんを案内して差し上げて」

 弥生がこれ見よがしに言いながら初めて気付いたという風に横の男に嫌な顔をした。

「あら、まだそんな下賎な方と付き合っていたの?」

「お久しぶりです」

 弥生の言葉からすると夏深のような良家の人間でないのだろう。なら、眼中にいれる価値はないだろう。

「そんな方の世話を焼く暇があるなら平気よね? 夏深頼んだわよ」

 とっとと去ってしまった弥生に会釈してから、心配気に夏深の顔色を伺った。

「あの、ご一緒してもよろしいかしら・・・」

 一瞬夏深が横の男と顔を見合わせた後苦笑いを浮かべて頷いた。

「初めまして、頭山と申します」

 涼しい笑顔が印象的な青年が名乗った。





 素敵な夏深の母親が消えてくれたのは有り難い。あの顔を見ているとついついクソ婆と世界の中心で叫びたい衝動に駆られるのだ。

「今から体育館でやる演劇を見に行くところだったんですよ。昔から演劇部の芝居は一見の価値がありましたからね」

「百合乃下の生徒でしたの?」

 品良く聞き返してくるが、お嬢様と戦うには戦力不足だ。どれだけ上手に隠しても遊びまくっているのは火を見るより明らかだ。

「ええ」

 こちらも適当に愛想をふらせてもらおう。

 丁度体育館前に来た時人だかりができていた。

「あれは何かしら?」

「さあ・・・行ってみましょうか?」

 終始だんまりの夏深を引き連れて、当子の考えた企画の一つでもあるのかと思い人込みを縫って前へ進むと、予想外なものが張り出されていた。

「・・・・・・・」

 横の夏深が息を呑むのが聞こえた。

 そりゃあそうだ。こんな公衆の面前に愛の告白を貼られればいくら夏深でも面喰うだろうよ。

 それもとびっきりの色っぽい奴で来られたんだ。

「き、綺麗な学生さんがいるのね」

 自分の顔に自信があったのだろうが、流石にあの引き伸ばされた写真の中の人間には負けたと自覚したらしく詩織が引き攣った声を出した。

「実物はこんなもんじゃないでしょうけどね」







「当子っ!」

 走ってきた左九が声をかけてきた。

「急いでどうかしたの?」

 今の時間は左九は剣道部の方に行っているはずだったが、何かトラブルがあったのだろうか?

「当子の写真が体育館のとこに貼り出されてる。あれって許可してんの!?」

 眉を顰めた。

 二年のチェックは西澤の友人に任せた。流石に文化祭に相応しくないものは貼り出されていないだろうが、自分の写真があったなど聞いていない。

「どんなやつ?」

 左九が視線を泳がせた。

「文祭としてはヤバイ写真じゃない・・・・・・・・けど」

 ならどんな写真かと思いながら、方向転換をした。とりあえず見て、人権無視のような写真を貼っていたらひっぺかじてやろう。

 許可した場所の前に人だかりができていた。掻き分けて前へ進んで愕然とした。

 夏深から渡された指輪に唇を寄せている情けない姿を写した写真が大きく飾られている。他にも犬の可愛らしい写真も貼られていたが、明らかに自分の滑稽な姿の写真に人が集まっている。

 いつ取られたんだ? 全く盗撮もいい所だっ。

「でもこれ、何年だよ。こんな美人いたっけ」

「・・・見覚えないよなぁ」

 剣道の試合の時に眼鏡とオサゲを外したが、それ以外は常にこの地味なスタイルを通してきた為、まさか同一人物だなんて思わないのだろう。

「・・・」

 ここで下手に回収して注目を受けるのも面倒だ。別にポルノ写真でもないのだ。問題はない。ただ、文化祭終了後、ネガごと回収しなければならない。抜き打ち検査で校内商売の実態も掴んでやる。

「・・・どうする?」

「取り合えず放って置くわ。後でネガを渡してもらうけど」

 どこか納得の行かない顔をする左九に肩を竦めた。

「わざわざ教えてくれてアリガト。どーせ彼女ほっぽって来たんでしょ?」

「あー、うん」

 生返事を返す左九越しに、よく見知った顔が見えた。

 口に手をやって、表情が綻ぶのを押さえきれない顔をしている。その向こうにアノ女の顔があった。

「夏深」

 頭に血が上る。







「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・れ?」

 外から聞こえる大きな音で目が覚めた。

『栄えあるミス百合乃下には三年の新田 燐火さんに決定です』

 野外舞台でミス・ミスターコンをやっている時間だから・・・二・三時かなぁと寝惚けた頭で考えた。

 眠り足りない。別に文化祭なんてそれ程楽しみにしていなかったから、このまま寝て潰そうかと思ったが、外から聞こえる歓声に連れられてふらふらと廊下に出た。

 窓から覗くと、本格的に作られた野外会場の舞台で燐火がVサインを高々と掲げている所だった。

 まあ、妥当すぎて面白くない。

『ミスターにはOBの四季 冬祈さんが選ばれました!。何でも全生徒会長の四季秋江さんのお兄さんだそうで、推薦者はその四季秋江さんでした!!』

  燐火の横に照れたような頭を書いている外人っぽい長身の男が立っているのが見えた。あんま似てない兄妹だなあと思いつつ、大きく欠伸をした。四階は立ち入 り禁止になっている為人気がなくしんとしていた。もう一眠りしようとした時、少し離れた窓から顔を出して下を見下ろしている人がいるのに気がついた。

 ショートヘアーに泣き黒子のあるどこかミステリアスな女性。私服姿なのを見ると無断で上がって来た来客だろう。

 副会長として、注意をしようと声をかけようとした時、実際声を出す前にその女性が反射的に振り返ってきた。

「・・・燐火先輩」

 そっくりな訳ではないが、姉妹だと勘繰れる程度に面影の似た女性に思わず名前が出た。

「の・・・お姉さん」

 燐火には行方不明になっている姉がいると聞いた事がある。

 燐火の皮肉っぽい時の笑顔と同じ物がその女に浮かんだかと思うと、ひらりと身を翻して走り出した。反射的に猛もその後を追った。燐火がその姉に会いたがっているのを知っていたし、燐火には貸しがある。何より、逃げられると追わないといけない気になる。

 階段に差し掛かって、三階に下りた時点で運痴の猛は早くも見失ってしまった。あれだけ運動神経のいい燐火の姉に追いつける訳がなかったのだ。こんな事なら、追う前に窓から燐火に声をかければ良かった。

 寝不足と酸欠で頭がじんじんと痛む。

 軋む体に鞭を打って、兎に角燐火に報告しようと下の階に向かった。もう逃げられてしまったかもしれないが、まだ見つかるかもしれない。

「脳みそが口から出そうだ」

 酒を一気飲みした後に走っている様だ。







 結構頑張っている劇の合い間にトイレにたった。

「もしもし? あー、佑香? 何」

 化粧直しついでに着信のあった女子大の友達に電話を入れた。

「合コン? 言ったじゃん。ほら・・・そ。四季家のボンボン。アレは逃がせないじゃない?・・・そ。あんな条件いい男そういないし・・・だから今日はパス。明後日? ・・・○大?いくいく。 その話明日聞く。ごめんもう切るね〜。バイバイ」

 電話を切って、学校の綺麗とはいえない鏡で化粧直しをしようとした。丁度横で地味で目立たない女子生徒が手を洗っていた。

 普通はこんなもんよね。高校生なんて?

 あの写真の女が夏深の本当の婚約者なら流石に少し問題があるが、高が高校生の女の子負ける気はしない。

 高校一年の子供が夏深の婚約者だと聞いて勝ち目ありと読んだ。この旬の色気には子供なんて勝てっこない。

 今日こそお持ち帰りして頂こう。





「おっと、失礼」

 マナーモードにし忘れて、北斗の拳のテーマ曲が流れた。これは当子からだ。

 劇の間の休憩だった為冷たい視線を受けなくてすんだ。。厠から帰ってきた詩織と夏深から離れて、壁際によってから電話に出る。

「何ですか?」

『文化祭に来るなんて聞いてなかったわよ』

 感情を殺した声が耳に届く。

「断る必要があるとは知らなかったんでね」

 間を置いてから、感情が隠れきらない声がする。

『夏深も一緒なんでしょう?』

「そうですけど」

『・・・それともう一人いるでしょ』

 不安や動揺と一緒に恐怖も隠した声から、ああ見たんだと考えた。

「ええ、夏深に一生懸命色目を使っている可哀想なうら若い女性が一人」

 ちらりとそちらを見て、あまりに扇情的な愛の告白を見てしまって顔がにやけている夏深と、上の空の夏深の気を引こうと必死な詩織を見て笑いを含みながら答えた。

『二人に生徒会室にくるように言って』

 早口に言うのを聞いて、修羅場が始まるのだなと想像して笑いが浮かぶ。

「いいですよ。直ぐに行かせましょう」

 夏深ほどではないが自然と笑いそうになる顔を戻して二人の元へ戻った。

 唯一の問題は、劇の続きと当子と夏深と詩織の猿芝居、どちらの方が見応えがあるかだ。







 何なのだろうかと思いつつ、早足に進む夏深の後ろをついて行った。

 お店の出ているところを抜けて、何もない静かな廊下へと入っていく。もしかしたらこのまま?という期待を抱えてしまうが、頭山と言う人に言われて来た為手の込んだ作でなければそれはないかもしれはないだろうか。

「あの、どこへ行くんですか?」

 不安げに聞くとどこかうれしそな夏深の声が返ってきた。

「生徒会室だ」

「そこに何の用なんですか?」

「行ってみないと何が待っているのか解らん」

 今までで一番楽しそうだ。

 何が待っているというのか?





 恐怖が体を蝕む気がする。

 ここまで不安に刈られた事があっただろうか? 待つ間に、集中力を高める為に剣道の試合前にする軽い頭突きをしてみたが、今一効かない。その事に軽い驚きを覚えながら一層不安が大きくなる。

 NOと言われたらどんな顔をすればいいだろうか?

 心臓が早鐘のように打ち付ける。

 ノックの音がした時に、自然と顔が出来上がった。あんな表面だけの女には負けない素顔。

「どうぞ」

 落ち着き払った声を出して、戸が開くのを待つ。

「・・・当子?」

 疑問を持った顔をしている夏深の後ろにあの女がいるのを確認して、スっと手を伸ばした。

 今までにない積極性だと胸中で嘲笑う。

 夏深の腕を掴んで部屋へと引き込むと、腕に縋り付く様に身を寄せた。

「私のモノに手を出さないでもらえませんか?」

 満面の笑みと言ってもいいかもしれない。髪を下ろして眼鏡も取って、営業の顔を作る。

「・・・ど、どちら様ですか?」

 明らかに動揺の見える顔にいい気味だと思えない自分がいる。

「夏深の正式な婚約者の滝神 当子です。ご存知でしょう?」

 至極嫌味な女に見えるだろう。自分でも自分のこの感情を抑えきれなかった。リスクを背負ってでも、試さずにはいられなかった。

「・・・・夏深さんのお父様が無理矢理婚約をさせたと聞きましたわ。そ、それにただ私は弥生さんに紹介されて・・・」

 きっと擦れ違ったのも覚えられない地味な格好でこれをやっていたら、こんな動揺もなく嘲笑われただろう。

 つくづく世の中の価値観に不公平を感じる。

 どれも私なのに、気付かない。一方でしか評価されない。それを知っていながら、夏深の横に立つときは夏深に似合う姿でいたい自分に反吐が出る。

「夏深さんはあなたの物じゃありませんでしょっ」

 行き成りの展開に付いて行けず、自分よりもいい女に会う事にも慣れていないのか明らかに詩織よりも夏深の横にいるのが似合う当子の宣誓布告に動揺して声を裏返らせて詩織が言った。

 その状況下で夏深の反応がないのにどうしようもない恐怖心に駆られても見上げて夏深の表情を窺う事もできず、ただ目の前の詩織を挑戦的に睨むしかできなかった。

 夏深に縋り付いた腕をすり抜ける感覚がして、心臓が止まる感覚がする。

 リスクがあったのは認める。

 恐らく金と権力の強い家の娘とただの中級会社の会長なだけの自分では、簡単に夏深への損得を考えれば明らかに当子が劣る。そんな事は承知で賭けに出た自分は余程の馬鹿だ。

 夏深が自分でなく詩織に行くリスク。夏深に愛想つかされて、捨てられる恐怖。一生側にいられなくなる喪失感を受ける危険性。

 それでも、ただ不安の中に行き続けるのは耐えられなかった。

 いっそ、切られてしまった方がまだましだ。

 離れた夏深の腕が消える感覚が、恐ろしい毒の様に脳に回る。








   六   GIVE and TAKE





 劇の続きを一人群衆に紛れて鑑賞しながら、頭山事、滝神 草は一人溜息を付いた。

 結末のわかっている話を見ても面白くない。それなら学生の芝居を見ているほうがまだましだ。目の前であの二人にいちゃつかれた日には本当に砂でも吐きそうだ。





「はいあ〜んして」

 言われて口を開けると露店で買ってきた熱々の焼きソバを口一杯に詰め込まれた。

「美味し?」

 聞かれて口をはふはふもごもごさせながら、取り合えず頷いた。

「お〜い。いいのか、お兄ちゃんよぉ」

 いちゃつく柳(やなぎ)と雪を横目で見ながら、おでんのちくわを頬張る茲(ココ)に奉行がウンザリした顔で問いかけた。

「・・・何かもう、勝手にどうぞー、ってカンジ」

 バンダリはボーカルである雪と茲の兄妹と、リーダーでギタリストの奉行。この場にはいないがキーボードをやっている渋の四人で構成されている。今日は雪のご希望でメジャーデビュー前の正規メンバーだった柳がドラムで入っていた。

「お前も丸くなったよなぁ・・・」

 イカ焼きを食べながら、奉行がしみじみと言った。

 昔は妹の為に血生臭い喧嘩もしていたのに、柳相手だと急にふけたようにやる気を失う。

 しばらく雪のきゃぴきゃぴとした声だけが響いていたが、茲がおでんの卵を崩しながら呟いた。

「渋さあ・・・・・。生きてっかな」

 遠くに越した友を思い出すような物言いに奉行も頷いた。

「食べられる食材だけで作られてるのに、何で悪性新生物が産まれるんだろうな・・・」

「流石ミネさんだよな」

「いくらお願いされても、俺は食えないよアレ」

 テーブルの上に置かれたままの、紅茶のクッキーらしき、茶緑色に蠢くまるで生きているようなもと食べ物を見ながら奉行がどこか遠い目で呟いた。

「でもさ、ホントに渋いなくって大丈夫? ってやー君が聞いてる」

 喉の関係で只今サイレントモードの柳の口パクを通訳して、雪が会話を割って聞いた。

「・・・・さあ」

 茲がやる気なくぼやいた。





「・・・・結婚して」

 見上げる顔に、息を呑む。

 まさか、こんなミスがあったなんて・・・・

 校舎の影で貞月薫は血の気が引く音を聞いた。

 何ヶ月か前に付き合っていた女が、腹を大きくして文化祭にやってきて、オマケに妹と別れろと殴り飛ばしやがった喧嘩っ早く厳ついお兄様を横に従え、悪魔の言葉を囁いた。

「薫君との子供だよ・・・来月生まれるの」

 そんな事を言われて、それは良かった結婚しよう!なんて言えない。もっと遊びたいし一人の女に縛られるなんて真っ平だ。第一その腹の中の物が自分のミスった物だって証拠がどこにある? 面倒を押し付ける気じゃないのか・・・・!?

「明日判押して家へ持って来い」

 怖いあんちゃんから半分書かれた婚約届けを突きつけられて立ちくらみが出る。

 嘘だろ〜。おれまだ若いんだよ〜。この歳で妻子持ちそれもできちゃった★かよっ!

「来なかったら、てめえのドタマが魚の餌になると思っとけよ」

 耳元でドスの効いた声を囁かれて縮み上がる。

「・・・・は、はい。明日伺わせて頂きます」

 死か不自由か、どちらがいいか何て、考えるまでもない。このシスコン野郎なら、本当に殺しかねない。殺されかねない。

 ほうほけきょ、俺の人生プランが崩れる音がする。





 泣きそうな、震えた声で詰問された。

「いいよもう・・・私といても楽しくないんでしょ!?」

「楽しくない訳じゃない」

 実際、買い物に付き合ったりしたときはそこそこに楽しかったりもした。

「でも、あたしの事好きじゃないじゃないっ!。付き合ってても、全然好きになろうともしてくれないじゃない・・・」

 涙を流して訴えられても、嘘が付けずに口を噤んだままいた。

「もう・・・いいよぉ。別れようよ・・・、あたしっ、このままじゃつらいもん・・・しんどいもんっ・・・うっ・・・」

 泣かれてもどうしたらいいか解らない。横峰には好感や好意は持っている、嫌いではない。それでも、当子に対する好きにはならないんだからしょうがないではないか。

 大体、高が高校での恋人関係にそこまで必死になってどうする。そこまでならなくてもいいではないか。

「! 鈴ちゃん」

 人気のない四階にいたのに、この前揉めた剣道部の先輩が行き成り現れたのにはこちらが驚いた。

 どこかで隠れていて盗み聞きでもしていたのか、ここに上がっていくのを見て、横峰の身を案じてやってきたのだろうかと考えている間に、先輩がしゃがみ込んでいる横峰の背中を優しく擦ってやっていた。

 お前何しやがった!とか聞かないところを見ると、途中からででも見ていたのだろう。

 そういえば、主将が横峰の事を好いている部員もいるとか言っていた。確かに横峰は可愛らしいし、マネージャーとして影から優しく支えているから好感は自然と湧くだろう。

 見る目がないんだよな。女って、

「横峰、ごめんな」

 まあ、いけ好かない先輩だが、自分よりもマシだろう。

 一言だけ言うと、二人を残して階下へ下りた







 外からブラスバンド部の演奏が流れ込んできて、ムードを作りすぎだと苦笑いが漏れた。

 あの写真を見ただけでもどうしようもなくなったのに、実物にこんな事を言われては鼻血を噴きそうだ。

「夏深さんはあなたのものじゃないでしょっ!?」

 詩織が声を裏返して叫ぶのが聞こえる。当子に会う前なら、別に詩織が婚約者でも良かっただろう。だが、詩織と婚約していても当子にこんな事を言われたら、迷うまでもなく詩織を捨てて当子を取る。どんな状況でも詩織では当子には勝てない。

 ある意味、俺は当子のものだ。

 しがみ付く手から腕を引いて、こちらから小柄な当子を抱きすくめた。しがみ付かれるのも悪くはないが、あの体勢では抱き締められない。

 詩織と詩織の父親による圧力が来るであろう事は後で何とかしよう。こんな愛しい女がここまでしてくれたのに、何もしないでいられるほど無欲ではない。

「申し訳ないが、後はお一人で回っていただけますか。手を放せない用ができてしまいましてね」

 抱きすくめた当子の髪に手を入れて優しく撫でる。三つ編みの名残でウェーブの入った髪が指の間を滑っていく。それだけの行為が酷く官能的に感じる。

「っ・・・・」

 一瞬、詩織の本性が窺える表情をした後ガラスが割れるのではないかと思うほど力一杯に戸を閉められた。反動で戸が数p開いた。

 微かに震えて、服にしがみ付く当子の表情が見えないのは酷く残念に感じる。

 自分が学生時代に使っていた生徒会室とは部屋の位置も内部も様変わりしている内部を振り返って眺めると、机に目を留めた。

 当子を抱きかかえて、机の上へと腰を下ろさせる。顔が見たくて屈んで視線を合わせる。

「・・・・っみ」

 あまりにも可愛らしく泣かれて、厭らしい満足感が生まれる。

「夏深・・・」

 そっと涙を拭って頬に手を添えた。

「俺がお前のモノなら。お前は俺のモノになってくれるのか?」

 低い擦れた声で問いかけると、当子の腕が首にまわされて、引き寄せられる。

 甘く視線を絡めたまま、当子の求めるままに深く口付ける。

 何度も角度を変えて、酔わせる様な甘ったるいキスを交わす。

「っ・・・き」

 合い間に当子の口から吐息とともに言葉が漏れた。

「好き」

 はっきりと鼓膜を擽る言葉に理性を飛ばされて、ココが学校だという事も忘れさせられそうだ。

 ここまで可愛い顔をされると、抑えきる自信がなくなる。

 当子が欲しい。





 舞台から降りているときに猛が駆け寄ってきて、姉らしき人を見たと聞いたとき、息を呑んだ。

 泣き黒子があったというからまず間違いないと思う。それでも勘違いかもしれない。

 何年も音沙汰なく蒸発した姉が生きている変な核心があった。そして、姉妹の勘か姉がこのお祭りに顔くらい出すんじゃないかと思っていた。だから、盛大にするのはいっこうに賛成だった。

 結婚式の当日に姿を消したあの女、生きているなら一発殴らないと気が済まない。謝らせないと許せない。

 駆け回って、聞きまくって、それでも姿を見つけることができなかった。こうなったら恥も外聞もない。当子に掛け合えばあの頭のいい彼女の事だ、何とか見つけてくれるかもしれない。

 その当子に電話をかける前に、生徒会室のドアが微かに開いているのが見えた。かなり遠いのにちらりと目端に映ったのだ。

 生徒会室は朝当子が施錠したのを思い出し、何かを取りに当子がいるかも知れないと走った。

 足の速さには自信がある。

「当子ちゃんい     !」

 ドアをノックもなしに勢いよく開けて、声をかけると、あまりにも予想外な物を見て面喰って目的が一瞬頭からデリートされる程に。

 (恐らく)当子が、知らない男とキスをしている姿はあまりにも意表な物過ぎた。

 紅潮した頬に髪を乱れさせた当子が目を丸くしてこちらを向いて目が合ってしまった。

「あー・・・・・ごめ・・・・」

 あまりにも不味い場面に反射的反応で戸を閉めた。

 自力で頑張ろうとその場を逃げてみた。





「・・・・・・最悪」

 開いた戸が直ぐに閉まってから、当子が今し方までの行為の甘さとは程遠い苦い声を出した。

「言い訳してくる。それにトラブルっぽいし」

 この切り替わりの速さに夏深はつい苦笑いを漏らした。今し方の当子がまるで幻想のようだ。

「・・・・・」

 言った割りに動こうとしない当子がさっきの真顔を伏せ、当子が夏深の服を掴んでぼそりと言った。

「ぎ・・・ギブ・アンド・テイク・・・よ。 私を夏深にあげるから」

 伏せた顔から覗く耳までが朱に染まる。

「夏深をあたしに頂戴」

 当子からこんな恥ずかしい言葉が聞こえるとは思えず。こっちが照れる。

 痛いほどに抱きしめてやろうとしたら、実行する前に当子が一歩離れた。

「い、言い訳してくる」

 顔を赤くしてスリ抜けて走って行く当子を見送りながら、力尽きたように椅子にへたり込んだ。

 あんな真っ赤な顔で何を言い訳するつもりなのだろうか?

 嬉しさで一人笑いが浮かぶ。

 押して駄目なら引いて見ろという言葉が頭に浮かぶ。そんな事を考えている余裕はなかったが、結果引いたのがよかったらしい。当子が嫉妬をしたのも嬉しくて仕方がない。危ない人のように、含み笑いが止まらない。

 メロメロだ。







「門前では目撃がないようです。 この後もチェックして貰うように頼んでおきました。運が良ければ見つかるかもしれませんが、来客が多いのであまり期待はしないで下さい」

 携帯を切った当子がいつもの事務的な顔で告げたが、外見は以前剣道の試合で見せた豪い美人な物だった。

「発見したら引き止めるように頼みましたし、連絡は先に燐火先輩の所に回るようにしてます」

 姉の事も気がかりだが、あのショック影像で一瞬目的が飛んだ。

 堅物なふりしてちゃっかりしている。

「個人的な事なのにごめんね」

「いえ、これくらいしかできませんから。アレでしたら、非常発令かけてもいいんですけど、どうしますか?」

 当子が言う非常発令は、各企画の責任者へ連絡をやり発見次第強制確保をさせる物だ。悪質な行為や騒動に際して、逃走しても確保する為のもので、捕まえた人には金一封が出る少々荒っぽいものだ。

 それをかけてもあの姉が捕まるはずがない。

「ううん。流石にそこまではいいわ。ただ、連絡がきたら仕事サボっちゃうかもしれない」

「サボるときは連絡くださいね」

 自分で自分を美人だとは自覚しているが、当子は美人な上に威厳と品がある感じがして女王様のようだ。

「その代わり、さっきの事は内密にお願いします」

 表情を変えず肩を竦めて言う当子に、乾いた笑いを返した。

「もちろん。言っても信じてもらえないわよ」

 左九に言ったら卒倒するだろうか?

「それにしても、さっきの人が例の人?」

「・・・・ええ」

 困ったような顔の当子は全く別人のようだ。女は変わるというが、ここまで変わると怖い。

「すみません、そろそろライブの方に行かないとならないんで」

「私もその内行くから」

 小走りで生徒会室に戻っていく当子の背を見て、可愛いと女でも思ってしまう。

「そりゃあ彼氏も隠したがるわよね」

 当子の婚約者がムカつく秋江の兄だとは知っているが、顔の見るのを忘れた。次男はさっき見たが、妹の秋江とはあまり似ていなかった。やはり長男の方も顔がいいのだろうか?

 むしろ、その婚約者が相手だったのだろうか?





 駄目だ。顔がふやける。

 取り合えず生徒会室の施錠はしないとならないので戻る。別にちょっとでも側にいたいとか、顔が見たいとかではない。

「・・・何か問題があったのか?」

 部屋の中で待っていた夏深にきゅっと抱き付いた。

 あたしはそれほど甘えたではないし、泣き虫でもない。人に頼るとか固執する性質だとは思っていない。

 そう言う意地が消されてしまうのがムカつく。

 自分のプライドが壁を作っている事くらい理解していた。それを崩せるのは自分からでしかないのも知っていた。

 でも、壁を完全に崩させたのはこの男の所為だ。

「当子?」

 自分でも不気味な行動に、夏深の不思議そうな声が上から降ってくる。

「何でもない」

 夏深の硬い胸板に顔を埋める。戸惑いがちに髪を撫でられる。優しく髪を撫でられる。

 たまには甘えたっていいではないか。これからやる事があるのにサボりたくなる。他の事がどうでもよくなる。

 夏深の、匂いがする。

「当子ちゃん大変なの!バンダリのキーボ・・・・・ぼ、ぼぼ?」

 人が珍しく軟化した態度を取るのがそれほど悪い事なのだろうか?

 流石に二度目の妨害には腹が立った。





「食中毒・・・どこの店で食べたかわかりますか?」

 ニュースネタになるのは勘弁だ。大和に聞くと、さっきまでちらちらと夏深に視線を泳がせていたが事が事だけに今は余所見をしていない。

「校内で買ったものじゃないって、だから店の営業はそのままで。ただ、とてもライブなんてできる状況でないのよ。今から代役を呼んでも間に合わないし。軽音でもブラバンでもいいから誰か弾ける子いないかしら」

 まさか、と胸中で呟いた。

「取り合えず保健室に行って容態を確認してから、控え室に行きましょう。物によっては代役でいけるかもしれませんが、後一時間もないので兎に角リハをしてみないと・・・。悪いけど鍵閉めておいて、後で鍵は貰いに行くから」

 夏深に声をかけてからほとんど走って廊下を進んだ。実際時間がない。

 何故あのババアは珍しくこんな長期で帰ってきたのだろう? それにクラシックでない楽譜・・・

 又はめられたのではないか?

 無駄な事が大好きな女狐に、





「初めまして、マネージャーのミネです」

 保健室でピクリともしない渋が倒れているベッドの横でグラサンのスーツ姿の女性が全く動揺なく挨拶をしてきた。

「・・・ライブは無理そうですね」

 死んではいないが苦しんでいるよりも不安になる様な倒れ方をしているバンダリのキーボードを眺めた。

「大和さん、生きてますか?」

 医大に通っていたと言う大和に、素人よりもマシだろうと指示を仰いだ。

「聞いた事もない症状ね。食中毒と言うよりも仮死状態みたい。取り合えず病院に運んだ方が良さそうよ。何かあった時十分な処置ができないから」

「救急車は止めてください。一様は芸能人ですからあまり大きな騒動にはしたくありませんので誰か車を回させて下さい」

 ミネが言うのに基本的に反対はない。

「解りました。大和さん車の手配お願いします。私は代役の手配をしますので」







「で・・・・・保険の先生。どうして寝てらっしゃるんですか」

 大和が消えてから、当子が奥で机に突っ伏している保険医を見て呆れた声を出した。

「あら、聞かれて変な詮索されちゃ困るんじゃないかって先に少し寝てもらったのよ」

 軽く返すと、当子がサングラスを引き抜いて眼鏡をかけていないスクールスタイルでない目立ちすぎる顔に装着した。

「で、なんであんたがマネージャーやってんのよ」

 当子が苦く言うのを見て、ミネは満足そうに笑った。

「ただのパフォーマンスでも表舞台に立たせたかったのよ。まさか、しないなんて言わないわよね?」

「タダでしろって訳じゃないやろな。貸しは返したはずやで」

 全くどうしてこう性格悪く育ったのかしら?

「ま、出来がよければ考えたるわ」

 渋い顔をしたが、結局肩を竦めて当子が折れた。

「解ったわよ。・・・時間がない、取り合えずリハしないと」

 時間がギリでなければ、どこかから代役を持ってきたかもしれないが、そんな時間もない。

 パンと手を叩くと、眠らせた保険医がパッと目を覚ました。

 人を指一本で眠らせるくらい屁でもないわ。

「すみませんが、後のことお願いします。渋は大和さんが病院まで運びますので」

「あ・・・・はい。解りました」

 呆然とした保険医に後を任せると、当子と一緒に保健室を後にした。

「女狐」

 催眠術までできてしまう天才的な母親に向かって、当子がぼそりと呟いた。





 ミネさん級の美人が来たかと思うと、完璧に演奏をしてきた。

 流石にこれには驚く。

「演奏としては渋の代役できるけど、感情こもってない。って、やー君が不服言ってる」

 音楽フリークの柳がいつもの淡々とした顔で口パクをするのを、雪が通訳して言った。喉が弱い為に喋らないようにする柳の言葉を読もうと、口読みを覚えた雪の愛には感服する。

「プロでないので、そこまで要求に答えられませんよ。それに、本来どういう曲かも知らないんで」

 肩を竦める当子に柳が不服そうに腕を組んだ。音の事となると悪魔になる男だから仕方ないが、

「取り合えず合わせやって、駄目ならSと山酉だけ轢いてもらっ後はなしで行くっ・・・て」

 音楽モードに入った柳に何を言っても無駄だろう。本来リーダーである奉行は溜め息をついた。

「OK。何とかなる事を祈るよ」

 今まで見たことのないほど楽しそうなにこにこ顔のミネと、鬼と化した音楽においては妥協を知らない天才児に挟まれて、ストレスを受けているのを奉行はひしひしと感じてた。







「気持ちの悪い顔だな」

 ポップコーンをついばみながらやってきた草が、つまらなさそうに言った。

「五月蠅い」

 笑みを消しきれない顔なのはわかっているが、言われて少し真顔に戻った。

「折角だからこれからライブでも見物しようと思うのだが、どうする?ニタニタ野郎」

 一々癇に障る男だ。





 タクシーの中であまりに腹立たしくて爪を噛んだ。

 あいつら二人とも、唯では済まさないんだから!

 あんな恥を掻かせて!

 どちらが上かあの女にわからせてあげるわ。

 見てらっしゃい・・・




             +αぶん↓


 結局やる気も元気も出ずに大の字に突っ伏していると、大きな音楽が響いてきた。

 3日貫徹してやった渾身の作のを実際誰かの脳裏に焼き付けれたのだろうかとふとぼやきが生まれた。記憶に留めるとすれば今やっている人気者のライブの方だろう。

 まだ人に感銘を与えられるほど物が描けるとは思っていないが、人の目に留まるようなものは描けたはずだ。

「・・・ねむ」

 やりきった疲労で意識下へ沈没する感覚は好きだ。それが例え報われない努力の結果だったとしても、好きだ。

 安定していてノリのいい音楽に体を包まれて、眠りに落ちる。

 誰かの思い出と一緒にアレが残ってくれていれば嬉しいなぁ・・・

 ピアノのソロが昏睡的な深い眠りに引き摺り込んで行く・・・





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死んでも、やらんからなクソババア」

 裏に入ると、当子はアップに上げていた髪を解いて三つ編みに纏め直しながら毒づいた。

「四十点・・・ってやなが言ってるって事は、ばっちぐぅ!だったってさ」

 バンダリ唯一の女である雪が生ライブの高揚としたした顔で言うが、正直40点だろうが0点だろうが知った事ではない。あのままではここまで計画を上手く進行してきたのにババアに綺麗に妨害されるところだった。でなければ誰がこんな赤っ恥をかくか!

  曲名も知らないようなモノを何曲も弾かされ続けた時点で勘繰るべきだったが、夏深の所為で頭の回りが正常でなかった。それは認めざるを得ない。それに、 ちゃんと呼ぶバンドの曲くらい聞いておくべきだった。猛に借りたCDは1stアルバムだったから、今日やった曲は一つも入っていなかった。それでも曲の雰 囲気ででも察するべきだった。

 完全に自分のミスだ。あの女狐が何の目的もなく長期滞在するはずがない。元々何かとピアノをやらせたがっていたが、それでも気付くべきだった。

 何かもう、どうやってマネージャーなんて微妙なポジションについたんだよ!とか聞くのもダルイ。あの女がやる事なんて私には一生理解し得ないのは確かなのだ。

「・・・ミネさん?」

 恍惚とした顔で壁に凭れている桜に、茲が引き気味に声をかけたが、桜の耳には一切合財届いていないようだった。

 ただ、頭にあるのは当子の父親の面影を見つけてそれに酔いしれているだけだった。

「うぅあー、イッちゃてんな」

 タオルで汗を拭ってミネラルウォーターを飲みながら、ついさっきまでギターを弾き鳴らしていた奉行が呟いた。

 正直、ライブと夏深への破廉恥行為が逆だったらもっと淡々とした演奏にできただろう。よりによって恋愛の歌ぁ?と上手く行っていない関係にさめざめとした嫌な感情に押されて、逆に感情移入なく機械的に弾けただろう。

 夏深が、別な女を選んでいたらこんな学芸会みたいなことなど放棄していただろう。

 自分でもあそこまで技術だけでなく、メンタル的に綺麗に弾けたのは初めてだ。ただの恋愛ものの歌詞くらいにしか理解はしていないが、変に感情移入してしまって今思うと至極恥ずかしい。人前で屁をかますよりも恥ずい。

「生徒会の方がありますので、私はこれで」

 後を役に立たない変体女狐とスタッフに任せて裏口を通って外へ出た。

 眼鏡をかけながら、あれに味を占めて女狐がまたこんな事をしようとしたらどうするかも考えなければならない。まあ、桜が本気になれば逃げ道もなく上手く罠に引き摺り込まれてしまい気付いたときには既にThe endだろう。

 最も敵にまわすと厄介な女だ。





「・・・・!」

 いた。

 あの写真の女子生徒がライブに出ているのを見つけた時は叫びそうになった。

 本来のメンバーは何かで出られなくなったため特別出演で校内の生徒が代役に立ったらしい。それがまさかあの写真の女だとは思わなかった。髪形も違ったしサングラスもかけていたが、あれは絶対にそうだ!間違いない。

 ライブ中芸能人そっちのけで写真を取り捲った。写真に夢中で本体を見失わないようにライブ終了前に裏口へ回った。

 直ぐに出てくる保証はない。それに、別の場所から出る確率も高かった。

 大きな拍手と歓声が聞こえてライブが終わったのがわかる。確かにあの生徒会長は凄いよと皮肉に思う。写真の売買の事実を見つけられない様に注意して商売をしないとならないだろう。

 少し間を置いてから、その生徒会長が出てきた。まあ、会場に見えなかったのを見ると、舞台裏に入っていても不思議はない。

 物陰に隠れてダサい生徒会長をやり過ごしてから、あの指輪の君を待った。





「・・・流石お嬢様、気持ち悪いほどのオールマイティだな」

 フランクフルトを頬張りながら、草がさして感動の色もなく言った。

 ピアノができるのは知っていたが、あそこまでのレベルだとは知らなかった。今までで当子にやれない物があった記憶がない。最初にできなくとも結果的にはできるようになっているのだ。

 これなら夏深の欠点の方が探しやすい。

「これを機にアイドルデビューでもしたら、さぞ面白いんだがなぁ」

 当子が出たがりならいくらでもその道が開けるだろう。最も、表に出るよりも策略や金儲けの方が好きな当子が態々自分の切り売りをしたがるとは思わないが、

「そんな事を俺が許すとでも?」

「・・・おいおい、早速旦那面か? あんまりお嬢様を締め付け過ぎると逃げるぞ?」

  今まで女の事で独占欲を見せなかった夏深の発言に辟易する。これで当子が策略で夏深を落としたのなら色々と便利がいいのだが、もしそうなら一様は友人であ る夏深がどんどんと落ちて行くのは止めておきたいところだ。それに有力で有能な金持ちを友人に持つのは綺麗な又従兄弟よりも便利のいいものだ。

「・・・・・」

 夏深がついうっかり口を滑らしたと言う表情をちらりと見せた。独占欲を持っていてもそれを他人に大っぴらに見せびらかすつもりはなかったのだろう。それに、逃げるぞと言われて折角の幸せ気分にひびを入れてやれたらしい。

 ざまあみろ、だ。





「あら、左九君そんな所にいたの?」

「先輩こそどこいたんスか?」

 問われて走り回って汗だくの燐火は言葉を濁した。

「ちょっとね・・・」

 私情で色々と走り回っていたなど流石に馬鹿の様に見える。それで成果がなかったのだ。なおの事情けない。

「それにしても、当子ちゃんって音楽も上手いとは知らなかったわ」

 当子から電話でトラブルがあったので、代役をやるとは聞かされていたが、あんなに上手いとは聞いていなかった。

「あー、うん」

 当子の話ならちょっと得意げな左九がどこか元気なく生返事を返すのを聞いて、女の勘が働いた。

「さては彼女と比べてたな」

 まあ、あんなに色んな意味で可愛い女の子がいてはハードルも上がるだろう。

「・・・・ああ、横峰とは別れました」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え」





 正直、付き合う前から早い内に別れるとは予想していた。

 横峰的には本気のつもりだったのかも知れないが、ただの興味本位で気になりだして、こんな頭をしているのに予想外にクラブで頑張るし優しかったからパンダを見るような好奇の目が珍獣に対する愛着に変わっただけだ。

 その後珍獣が珍しくなくなったら、唯の変な男に格下げされる。格下げされる前にやる気ない自分に愛想付かしただけだ。

 確かに、横峰を本気で好きにはならなかったが、全く努力しなかったわけではない。側にいて、色々と知ったし、キスもしてみた。でも何の不安も抑揚感も持てなかった。所詮は交わりのない相手だったのだ。

 たまに、高校生らしくないとは思う。高校生なら、もっともやもやしたり、色々悩んだりするはずだろう。そう言う感情が薄いらしい。その割りに人の感情は結構勘が効く。俺は横峰の求めている男にはなれないのも直ぐにわかった。

 横峰も、見る目がない。

 まあ、報われない思いに溺れている自分も大概だが、

「・・・ああ。別れちゃったんだ」

 燐火が困ったように口を開く。

 確かに、いきなり別れたと言われても何も言葉などないだろう。

「正確にはふられましたけどね」

 いつものやる気ない声が出る。

 全く後悔がでないのは、逆に何とも情けない。

 まあ、当子への思いを断てないで付き合ったのはやはり横峰には悪かったと思うが、

「やっぱり当子ちゃんへの思ひは断てませんでしたか・・・」

 目線を外して、言うのを聞いて溜め息が出る。

 否定できないんだよ。

 駄目だ、又あの悪魔のような家の女達に馬鹿にされる。







「・・・・・・・・・・・・・・そう。夏深がそんな事を・・・ええ、ちゃんと言って置きましょう。ちょっと目が眩んでるようなのよ。若い男の性かしらねぇ」

 軽い調子で返しながら、泣いてかかってきた詩織に胸中で毒づく。

 この役立たずが、

「夏深には詩織さんのような女性の方が合っているんです物」

  言いながら、外見だけで見て夏深に似合うのはむかっ腹の立つ事に当子だと認めざるを得ない。逆に言えば、夏深が気に入っているのは当子の外見だけだでその 内飽きると思っていた。美人は三日で飽きるというのに、あの馬鹿息子の熱は馬鹿な父親とそっくりにいまだに冷めない。これは予定外だ。オマケに詩織に対し ては大っぴらな事はできないだろうと踏んだのに詩織の前で堂々と当子を選んだのだ。これはますます不味い。

 あの狸の愛娘を馬鹿にしていくら夏深といえども無傷では済むまい。

 あんな女の子供なんて放って置いて、権力と保身を取ればいいものを。全く馬鹿息子が、

「夏深にはちゃんと謝罪に行かせますわ」

 土下座でもしてせいぜい傷を浅く済ましてもらう事だ。

 とっとと別れさせないと、面倒になる。