一

「お仕事ご苦労様」

 婚約者である滝神 当子を直々にドアを開けながら部屋に招きいれる。艶のある長い黒髪を今日は垂らしている。母親譲りの整い過ぎた美しい顔は贔屓目を抜いてもおつりがくる。その顔とピンと伸びた背筋と雰囲気は相変わらず15歳の子供には見えなかった。

「何日ぶりだ?」

「さあ、一週間くらい?お互い多忙だからね」

 その間に何度電話しようとし、車での移動中にそのままさらいに行きたい衝動に駆られたかと思うと、苦笑いが漏れた。それに比べて、当子のこのしれっとした開度には悲観的な思いすら浮かんだ。

「そっちは順調?」

 ソファに座りながら、何となしに問いかけてくる。

「まあまあだ。そう言う生徒会長の方は?案外お話通りには行かないだろ。人間相手のそれも学校と言う特殊な場所だからな」

 横に座りたいが、後少し見ておく必要のある書類があったため、デスクに向かった。

「まだちゃんとした行事してないからそれ程学校つう檻の使い方が解らないけどね。取り合えず次は球技大会」

「何に決まった?」

 素早く目を通しながら聞くと、面白そうな当子の声がした。

「バスケとバレーとドッジ。クラス対抗の商品は遠足の行き場所決定権、ただし日帰りで行ける所限定。まあ正直言ってこれだと競争心が低いかなと思うから生徒指導一回パスと言うやばい手を考えてるんだけど?」

 声が大きくなった為に顔を上げると、目の前に顔があった。

「そう言えば、夏深って速読できるの?」

 異常な速さでめくられる書類を見て、そんな事を面白そうに聞かれる。

「一様な。それ程速読でもそれ程早い方じゃないけどな」

「便利でええなぁ」

 たまに出る大阪弁で言われて可愛いなと思う。

「昔関西にでも住んでいたのか?」

「ああ、これは母さんの口癖がうつったの、つってもあの母親からこんな言葉が出るとは思わんでしょうけど」

 不貞腐れて言う当子の頭を優しく二度叩くと、

「お前の母親ならありえる」

 自分では気持ち悪くすらある優しい声が出る。自分がこんな甘やかした声が出せるとは最近まで思わなかった。

「そりゃどうも」

 困ったように身を引くと、ソファーへと戻った。

 ぱっぱと残りに目を通してから、鍵のかかる引き出しに入れた。

「横に座っていいか?」

「どうぞ」

 広々し過ぎたソファーを少し恨めしく思う。二人座っても余裕があるのも何だ。

「まあリコールされない程度にしておけよ」

「わあってるわよ。それで、話って何?」

 見上げてくる当子の顔に手を伸ばして、髪をかきあげた。

「指輪のサイズは?」

 以前女に指輪を執拗に求められプレゼントさせられた事がある。その時に相手のサイズを聞かずに適当に買ってきてもらってらぶかぶかだったらしく怒鳴られて結局それが原因で別れを告げられた。その時は別に気にも止めなかったが、当子にそんなミスをしたくはないので聞いた。

「・・・指輪ぁ?」

 予想外なほどの不満げな顔に動揺した。

「別にいらないから」

 その拒絶に怒りまで生まれた。

 この場合、つまりは婚約者に与える指輪、婚約指輪になる。それをいらないと言う事に不安さえ感じる。

「いらないって、どうしてだ」

 感情を殺して言うと、その言い方が不服だったのか当子もムッとしたらしい。

「・・・・いらないものはいらない。大体夏深から貢いでもらう気はないし」

 睨み上げてくる目は会った頃の物を思い出した。

「俺が勝手に買うのに文句を言われる筋はないと思うが?」

 皮肉んで言うと余計に相手も突っぱねてくる。

「悪いけどあたし極力光物はつけない様にしてるの。買ったからってわしが付けなきゃ意味ないじゃない」

「・・・解った。勝手にしろ」

 怒気を押し殺した声で言うと、一層不機嫌な顔が帰ってきた。

「何怒ってる訳?意味解らん」

「そりゃあ解らんだろうよ」

 夏深に見下ろされている上に睨み付けられて、拗ねたように当子は立ち上がった。

「悪かったわね。解らなくて、話それだけならもう帰るわ。じゃあねサ・ヨ・ウ・ナ・ラ!」

 ばんと戸を閉めて当子は来て早々にさってしまった。

 消え去った当子の後を追って俺が悪かったと謝りたい衝動と、あいつが悪いという感情とが戦っている間に、当子の姿は完全にいなくなっていた。

 四季 夏深ともある人間が、あんな10近くも年下の子供に翻弄されているなど知ったら笑う人間は結構いる事だろう。

  夏深は四季 春夫の長男で、時期社長に内定しているような立場でいくつもの社長代理的仕事もしている。日本でも指折りの財閥でもある四季家の跡取り息子が つい最近まで万年低迷だった会社の会長でしかない小娘と婚約したのはもとは父春夫が当子の母・桜にゾッコンだった事が最大要因だった。その為、当子からな らまだしも夏深からの婚約破棄は有り得ない。ただ、夏深から当子を嫌うこと事態今のところ有り得そうにない。

 むしろ元々自身の為に当子は夏深と婚約しているのだ。用が済んだら当子が婚約破棄と言いかねない。一度だけ当子の口から好きだと聞いたが、それも確固たる物ではない。指輪を渡したかったのはそれを形にしたかったのかもしれない。

「情けね」

 この様が無性に情けなくなった。



「わっけ解んない」

 稽古を終えてなお収まらない怒りに当子は叫び声を上げた。

「今日は偉くご乱心じゃ」

 トレードマークのオレンジ頭を汗だくにした華 左九が言った。

 小学校の低学年から通っているこの剣道場の友人であり、高校では同じ生徒会長の書記を勤めている左九との付き合いは古い。

「男心はさっぱりわから〜ん!」

 寺の道場でそんな事を叫ぶ当子を今更と師範方も無視だった。

 俺に他の男の惚気するとか鬼だよなと考えつつも、相談に乗る左九を道場ではお人好しの位置づけにされている。

「何、婚約者と喧嘩?」

「・・・・え?」

 いざ聞かれると、不機嫌に眉を顰められて溜め息が出た。

「ああ、痴話喧嘩」

「・・・・痴話・・・痴話痴話?・・・いや、痴話ないし」

 壊れた当子を可愛いと思うが、このまま別れてしまえと考える悪い心もあった。

 汗だくのポニーテールを解くと、板張りの冷たい道場に寝転がって伸びをすると大きな声で言った。

「疲れたりぃ〜ん!」

 女がぶっ倒れるまで稽古できるのはどうかと思いつつ、今日の稽古は十分だるかったから強がりだろうと判断した。

 教師連中もサボるどころかバリバリに頑張っていた為に疲れてない宣言にもいつも通りに反応はなかった。

 忙しい夏深の事を気遣って、メールを送るのも会いに行くのも控えていて、いざ会ったら会ったで喧嘩別れだ。これでは後々の夫婦生活に今から不安を覚える。

 嫌いではないが、ベタベタしろとか、今更可愛い女になれと言われても恥ずかしくてできない。それにセクハラが最近ではなくなった。やはり夏深は子供相手に飽きたのだろうか?





 生徒会会計の新田 燐火は校内でも一味を争う美人だった。当子は学校では極力地味に生きている為、校内では当子よりも燐火のほうが花のある女だった。前生徒会リコールにも積極的だった現生徒会の最年長者でもある。

 スポーツに置いては校内一の万能者と言われ、日頃からコーチ権助っ人として運動部の世話をするのが日常となっていた。今日はテニス部の朝練に付き合った為、八時までには汗だくになっていた。

「あ、ごっめん。一限目の数学あたるのよ。ちょっと早いけど先上がらせてもらうわね」

 タオルで汗を拭いながらテニス部の部長に声をかける。

「解った。又指導に来てやってくれよ、薄情な事に後輩達は燐火が来てると目の輝き違うんだよ」

「褒めたって何にも出ないわよ。それじゃおっさきぃ」

 実際、男女問わず大抵の運動部からは慕われている。特定の部にも入らず、ピンチヒッターで美味しい所取りの燐火に嫉妬する人間も居るが、憧れ的な物の方が多い。

 コートを出る前に皆に聞こえるように大きく声をかけてから、小走りで更衣室に向かった。

 ポニーテールにしていた髪を解くと、髪が湿っている。

  運動神経は面白いほどによく、昔から何でもできるが、一つに打ち込めないのは特に好きな種目がないからだった。何をしてもいい成績を取る自信はある。実際 に助っ人で出た試合は8割がた勝ってきた。人よりも上手い事は確かに楽しいが、人生をかけて頑張りたいものではない。頭はイイとは言わないが馬鹿でもな い。普通に生きていれば普通以上の人生にできるのも何となく予想ができた。

 生徒会長の当子程楽しい人生を送ってはいない。

『生徒会役員で登校している生徒は至急職員室まで来てください』

 丁度頭を水道水で洗っていると、放送が入った。

 まだ八時丁度位だ。他の三人はこんな早くには着ていないだろうと思いつつ、手早く制服に着替えてから、軽く拭いただけの濡れた頭のまま職員室に向かった。

「まだ新田しかきてないのか?」

 職員室の前で待っていた生徒会臨時顧問の教師言った。

 顧問といっても実際は男バスの顧問をしている為、放課後まで残る生徒会を見ているわけではなく、何かあったら体育館にいるのでくるようにと言うだけである。実際の運営は完全に生徒会の生徒だけで運営されている。

「多分まだだと思います」

 臨時顧問の教師の横に見知らぬ男を見て、何だろうと思う。

 茶髪の遊んでそうな大学生のイメージが会う男。顔はあんまり趣味じゃないが悪くわないわねと心中だけで呟く。

「昼から出張が入っているから、先に紹介しときたかったんだが、まあ新田から伝えておいてくれ。産休に入った吉田先生の変わりに来てくださった貞月先生だ。しばらくの間生徒会の顧問をしてもらおう事になったから」

 当子が聞いたらどんな顔をするかと思うと面白い。独裁権力者になるのに、教師の干渉を受けては面白くないとぶつぶつ言うのだろうか?

「ああ、そうなんですか。わかりました。伝えておきます」

「放課後にでも生徒会室に行ってもらうから」

 顔のいい若い教師なんてここにはいなかったから、結構人気でそうよねと思いつつも、男二人の反応も楽しみだった。



「いやあ。今時の女子高生は綺麗ですね」

 貞月 薫は、燐火の背を見てしみじみに言った。

「いくら若いからって、生徒に手を出しちゃいかんぞ」

 オヤジの笑いを浮かべながら貞月の肩を叩いて職員室に戻る中年教師を他所に、貞月狩猟者の笑みを浮かべた。

 生徒会の顧問なんて硬い役が回ってきて、どうやって逃げようかと思っていたのに、これは思わぬラッキーだ。

 叔父のコネで臨時でだが就職できたのはいいが、4股して唯でさえ忙しいのに仕事にそんなおまけをつけられてはやってられないと思ったが、アレだけの美人なら、今の女をないがしろにしてでも落とす価値はありそうだ。

 何と言っても教師と生徒というシュチュエーションが美味しいではないか。





「今日の当子ちゃん不機嫌じゃない?」

 こそこそと燐火が左九に聞くのを、当子はいらいらと見ていた。

  放課後の生徒会室に、会長である当子と書記の左九、会計の燐火に副会長の西澤 猛が集まっていた。本来ならば会計と書記は二人づつ入れるのだが、今のこの 生徒会はリコールをしてできたものなので人数が最低の4人だった。前期選挙でもこのメンバー以外は出なかったため自然とリコール生徒会のままだった。

 まだそれほど長い付き合いではないが、当子の今までにない雰囲気に流石の燐火も気付いた様だった。

「まあ、今までまともな顧問が付かなかったのはラッキーだったから、新しい顧問にも不干渉で生きてもらいましょ」

 とんとんと机を叩きながら当子が内緒話になりきっていない内緒話をする二人にも聞こえるように言った。

「授業にもあんまりやる気なかったし、多分大丈夫なんだと思うよ。ただ、授業中可愛い子だけいやにちょっかい出してましたから、燐火先輩狙いきたらうざいだろうね」

 眼鏡をかけたまさに優等生である二年の猛が言う。

  猛と左九は親戚らしいが、二人の仲は冷戦状態らしくお互いに会話は全くしない。誰かが加われば間接的には喋る事になるが、それ以外は目すら合わさない。左 九は当子に、猛は燐火の為に引きずり込まれている為、まあ大喧嘩しないんならいいんじゃない?と、もう女二人は気にもしていなかった。

 左九と違い、猛はいかにも真面目な男に見える。副会長の割には美術班の仕事が多くまわっているのは、生徒会長が別に誰かに助けてもらう必要ないのと、猛自身絵心があるのが理由だった。

 実質、左九は雑用係り燐火は運動部担当、猛は美術班けん文化部仲介。そして当子が発案企画担当となっている。

「貞月先生の授業受けてるのって二年だけだから西澤先輩だけなのか・・・」

 実際にまだ会っていない人間をどうこうするのかは決められない。せめて授業でも受けていれば対応の方向性を決められるのに、

「燐火先輩にちょっかいを出す場合は燐火先輩を外回りにしてここに寄り付かなければいいですから、その場合は宜しくお願いします」

「・・・え?」

「取り合えず近々ある球技大会に向けて予定詰まってますから、後は各部の許可を取り行かないといけないんで」

 さくさく話を進める当子に燐火がストップを入れようとしたとき、噂の貞月が生徒会室のドアを開けた。



 プリントの整理を済ましてから一階の生徒会室に向かった。

 燐火以外にも可愛い子供がいれば嬉しいが、聞けばたった四人の生徒会で内二人は男だという。燐火以外の女子は生徒会長らしい。それほどの美人は確率的に期待できない。

 それでも、軽い足取りだった。

 生徒会室と書かれたドアの前に止まって、うきうきしながら戸を空けた。

 四人の生徒が一斉にこちらに注目してくる。

「どうも、顧問になる事になった貞月です」

 にこやかに答えながら見回すと、麗しの燐火よりもまずド派手なオレンジ頭の男子が目に付いた。

 やばいタイプの不良でないと有難い。何より、どうしてこんな奴が生徒会に入っているのかが解らない。

 後は眼鏡の真面目タイプがワンセットだ。

「燐火先輩から聞いてます。会長の滝神です。副会長の西澤先輩と、あの派手なのは書記の華、会計の燐火先輩はもうご存知ですね」

 会長の当子が立ち上がって指し示しながら紹介をした。

 三つ編み眼鏡のいかにも優等生なロボットのような女にはそそられない。女のハズレだ。まあ、燐火一本狙いに絞ろう。

「燐火ちゃんて言うんだ。今日も遅くまでかかるなら危ないから送っていってあげるよ」

 当子を無視して燐火の方に向き直るが、笑顔でスルーされる。

「友達と帰りますから大丈夫ですよ」

「じゃあその友達も一緒に送ってあげるよ」

 それを見て、当子が溜息を付いた後勝手に続けた。

「基本的に生徒会の執務は生徒だけでやりますので、毎回監督に来ていただかなくても大丈夫です。一番近い球技大会の方は大体決まってますので」

 ちゃっちゃか言う当子を見て、将来はバリバリのキャリアウーマンだが男なしで三十路超えてそうだなと皮肉っぽく考えた。

 とても高一には見えないテキパキさに、どことなく威圧を含んだその物言いについつい向き直って言い返す。

「生徒だけでは問題が起きた時に困るだろ、来れる限り顔を出すよ」

「そうですか? そうして頂けると心強いのですが、新しく入られたとかで授業の方にもまだ慣れていらっしゃらないのに、ご迷惑をかけるわけにはいきません」

 即答で答えを返す辺りがロボットっぽい。

「子供がそこまで気を使わなくても・・・ね。お気遣い嬉しいけど、ほら、少しでも生徒とコミュニケーションをとらないと」

 左九がそんな貞月を見て、女の子限定のコミュニケーションね。と小さく呟いた。

 それを教師らしく見咎めて睨んだところで、当子がにこりと笑って喋りだした。

「そういう事でしたらどうぞ。お好きなようにしてください。ただし、邪魔はなさらないでください」

「そうさせてもらうよ」

「今日は見ていかれますか?」

 事務的に聞かれてもちろんイエスと答えた。

「では適当に座っていてください。まあただ見ているだけで何の面白みもないでしょうけど」

 大学でこんな女いたよな。インテリで頭でっかちの女。この歳からああ言う女は女でなくなっているのかと思いつつ、近場の椅子に座り込んだ。

「西澤先輩は書類整理お願いします。華ちゃんはネットでこれの値段調べておいて、大体でいいから最低と最高おねがいね」

 ちゃっちゃっか男二人に指示を飛ばし腕時計を一瞥した後、燐火の許へ歩み寄ると腕を掴んでそのまま戸口にたった。

「私と燐火先輩は予定通り外回りしてきますから、先生は男子の働きの良さでも見学して行って下さい。まあ、やり残したお仕事を思い出しましたら、ご自由にお帰り下さい」

 にやっと笑顔のまま戸を閉める当子を見送り、渡されたメモをひらひらとさせながら左九が思わず呟いた。

「性格悪いなぁ」

 左九が、女二人の背を見送りながら呟いた。

 仲の悪い従兄弟と新任教師を広いとは言えない生徒会室に取り残す当子の性格の悪さに感服する。






   二



「どうしたの当子ちゃん」

 クラスメートの裕美が声をかけて、当子は携帯から顔を上げた。

「いや、ちょっと悩み事が」

 腕組をして眉根を顰める当子を見て、裕美が指を鳴らした。

「わかった。最近入ったかっこいい先生の事でしょ。生徒会の顧問やってるんでしょ?それで好きになったとか」

 女バスに入っているためベリーショートに髪を刈った快活な子だが、少し頭が弱いんじゃないかと思うときがある。

「そこまで男を見る目がないわけじゃないよ。まあ、あのストーカーがうざったいのは悩みの種なのは当たってるけど」

 夏深に謝ってしまいたいが、何できれられたのかが解らない。それでどうやって謝ればいいのかと思案していたのだ。こっちに比べれば貞月の事など楽だ。

「え、当子ちゃんストーカーされてるの?」

「いや、燐火先輩に」

 クラスでは席も近いこともあって裕美とはまずまず親しい。だがまだ聞いてないなと思ってふと聞いてみた。

「そういや裕美って彼氏いるの?」

「・・・一様いる・・・よ」

  うわー、顔赤くしてかわええのうと親父臭く思いつつ、普通のカレカノはどんな物かと興味を持った。夏深との関係は異色だ。高校生のカレカノの関係みたいに 映画やら音楽やらの会話よりも政治経済の会話の方が似合い、デートスポットに行くでもなく、又毎日電話やメールもせずに会うのもお互いの都合が付くのはそ んなに多くない。

「ふ〜ん。どんなの? 話してみ」

「・・・中学からの付き合いで、学校は別のとこなんだけど、ほら、うちって男バスは弱いじゃない」

 頬を染めながらも、どこか自慢げに言う裕美を見て、普通の恋する乙女じゃなあと思う。

「バスケ繋がりなんだ。かっこいい?」

「そんなカッコはよくないけど、あ、バスケやってる時だけはカッコいい!それに頭もいいの」

 夏深は顔も良くて金持ちで仕事もできるんだよなあと胸中でだけ呟く。

「それじゃ自慢の彼氏だ」

「ああ、もう駄目!この話終わり。はい、次当子ちゃん」

 急に矛先がこっちに向いてきて動揺する。

「あたしにいると思う?」

「え、生徒会のあの派手な男子と付き合ってるんじゃないの?」

 きょとんと言われて、おいおいそんな風に見られてたのかよ。それだと左九が可愛そうだろと思う。彼女持ちの男と思われていたら出会いも減ることだろう。

「華ちゃんは剣友。昔馴染みの友達だよ」

「えー、そうなの? 最初変わってるなって思ったけど、態々あの頭で生徒会入るってことはそうなのかと思ってた」

「そんなんじゃないんだよね。これが」

「じゃあ副会長の方?」

「西澤先輩とはあんま喋んないよ。嫌いじゃないけど喋ることないし」

 ん〜と裕美が腕組をして考え込んでから首を傾げた。

「当子ちゃん絶対いると思うんだけどな」

「そんな風に見える?」

「んん〜」

 唸る裕美に婚約者はいると言ってもいいのだが、そんな事を公表しても意味がないし、それがこの学校の理事の跡取り息子の長男だと自慢げに言うなど馬鹿らしい。校内で態々そんな事を公表したって意味はない。





「・・・今日は何の文句を言いに?」

 剣道部の主将は態度が悪い。

 頭二個上のむきむきした男。正直、胴着は横幅のある人間よりも細い人間が来た方がカッコいいんだよな。

「唯の様子見ですよ」

 当子があっさりと言い返しながら、見回した。

「それと少し注意をしに、一般生徒からの苦情がありましてね。部活動に打ち込まれるのは大変結構なんですが、少々威圧的態度で闊歩し過ぎだそうですね」

 入学当初は剣道部にでも入ろうと思っていたが、あまり素行のいいクラブでもなく自分のしたい剣道でない為、結局入部はしなかった。剣道をしにではなく、当子のボディーガードとしにくる事は何度かあった。

 教師よりも生徒会に文句を言ったほうが解決が早いのは百合乃下独特だろう。伝統的に、苦情は生徒会に入ってくる。

「また言いがかりを付けにきたわけだ。いい加減にしてくれるか?稽古の邪魔だ」

「私も何度もきたいわけじゃないんですよ。ただ、生活態度を少し改めて頂かないと一般生徒の邪魔になんの。いくらガタイがいいからって脳たりんでは使い道がわからないのかしら?」

 頼むからそういうチャレンジャーな事は言わないで頂きたい。

 ほら、主将どころか後ろの奴らも怒ってるし、

「そっちの派手な頭を直させてから着たらどうだ。そっちの方がよっぽどだと思うが」

 怒りを殺して冷静に言をおとするのは偉い。何よりも、確かにこのオレンジ頭は派手だ。

「あら、この頭で人を威圧してるわけではないじゃないもの。それに似合ってて可愛いじゃない」

 可愛いと言われるとつらいなあ。

「そう言うのは贔屓だろう。生徒会の職権乱用はリコールの対象だったよな。会長殿」

「あら、木偶の坊が生徒会長になれると思うならやってみたらどうです?」

 ここまで言われて起こらない人間なんてそういないよな。

「いいかげんにしろよ。女だからっていつまでも加減はしてやらねーぞ」

 当子の胸座を掴みかかる前に、左九が主将の腕を掴んだ。手首がここまで太いとエグイ。

「お手つき禁止ですよ。お客さん」

 睨み付けられても、自分が通っている剣道場の先生に睨まれるのに比べれば怖くもなんともない。

「先輩そんな奴ら無視しとけばいいんですよ」

 後ろから丸刈りの部員が見かねて声をかけてきて、不機嫌なまま左九の腕を振り払った。

「あんたたちもさ。部活の邪魔なんだよ。生活態度が悪かろうとこっちはインターハイの常連で他と違って稽古も大変なんだ」

 それを聞いて、当子がクスクスと笑った。

「インターハイはインターハイでも、インターハイ一回戦負けの常連よね」

 今日は一段と不機嫌な当子に冷や汗が出る。

 これ以上の空気が悪化する前に、燐火が現れてくれてありがたかった。

「あー、当子ちゃん発見!」

「どうかしましたか?」

 さっきまでとは全く違う声で聞き返す当子を見て、何とか危険地帯から抜けれそうだと思った。

 小走りでくる燐火の方へと当子も少し走って向かっていくのを見ながら、左九も行こうとしたら、丸刈りの部員が小声で言ったのが聞こえた。

「あんな堅物のお守りなんて、やってて楽しいのかね。よっぽどな趣味なんだな」

 振り返って睨むが、相手はそのまま言葉をやめなかった。むしろ勝ち誇ったような嫌味な囁き声で言う。

「知ってるか?あの女生徒会長になる為に男どもにヤラセテやる代わりに前の生徒会を脅さしてリコール選挙を辞退させたん」

 言い終わる前に、手が出ていた。



「黙れっ!」

 大きな声で振り返ると、左九が剣道部員に抑えられ、さっきの丸刈りの部員が倒れていた。

「ちょっ! 何してる!?」

 慌てて向かうが、もう時既に遅いだという事くらいわかっている。後はどう始末をつけるかだ。

「躾けの悪い番犬が行き成り殴りかかったんだよ」

「こんの馬鹿っ」

 相手の言い分を聞くより先に、まだ殴り足りないともがく左九の頭をどつく。

「先に手を出すのはご法度なくらいわかってるでしょ」

「・・・俺は悪くない」

 いつもはおっとりとすらしている左九が噛み付くような物言いをする。

「取り合えず生徒会室に戻ってて、話しは後で聞く。・・・理由もなく暴力を振るうとは思っていない、でもね法律社会では手を出す事が負けなのよ。それを考えて頭を冷やしておきなさい」

 当子のキツイ物言いに、左九は口をきつく口を噤んだ。

 左九が理由なくキレるとは思っていない。だが、先に手を出したのが事実なら厄介な事だ。

「あんたもその手を放しなさい」

 左九を解放させると、庇うように左九を後ろにやった。

「燐火先輩。左九を連れてって」

「あ、うん」

 状況が掴めない燐火に言うが、左九はそれを拒否をした。

「逃げたりしないから、先輩は当子のボディーガードしてやって」

 左九に言われて燐火がその場に残るのを黙認した。

 左九が見えなくなってから、振り返って倒れている生徒を見た。

「華が殴る前に何をした」

「こっちは被害者なんだぜ?その態度はいくら生徒会でもないだろ」

 主将が言うのも尤もだ。

 一息ついてから、謝罪を口にした。

「今回はこちらが先に手を出した事については非を認めます。申し訳ありませんでした」

「こっちの態度がどうだと言えた筋じゃないよな。今後うちの部にとやかく口出しをしないで頂きたいもんだな」

 ちょうしこいたその物言いににこりと言い返す。

「それとこれとは全く持って別の話です」

 少し目を放した隙に何があったのか考える。そうキレやすいタイプでない左九をキレさせたのだ。余程の事を言ったのだろう。

「もう一度確認します。殴られるような行動言動は一切ないと言い切れますね」

「そんな事してねーよ」

 丸刈りが口端の血を拭いながら怒気を含んだ声で答える。

「華からも事情を聞いた後、もう一度こさせて頂きます。理由もない暴力だった場合そちらの満足する処置を取りますが、そちらが何かをした為の事ならば両成敗にしますから」

「ちょっと待てよ。こっちはあんたの暴言に手を出さずに我慢したのに、そっちは何か言われれば殴ってもいいってのかよ」

「・・・やっぱり何か言ったわけですか」

 苦笑って揚げ足をとる。

「そっちも馬鹿だ何だといったんだ。お相子だろう」

 主将のその物言いに腹が立って、一歩前に出た。

「やられたらやり返せばお相子だと言うなら、どうぞ。私を殴ってください。それでお相子なんでしょう?」

 流石に女を殴れといわれて殴れないのか、言い返す。

「殴るなら殴った人間をだろ。普通」

「あら、あたしが暴言を吐いたといってあたしではなく華にその仕返しをしたんでしょ?なら私が殴られてこそチャラじゃない。殴られたからって泣きやしませんから、どうぞ」

 潔く顎を突き出して頬を出す。

「当子ちゃん」

 そんな当子の行動に燐火が焦った声を出す。

 主将が燐火を一瞥した後、

「女は殴らん。こっちにも確かに非があったんだ」

 流石アイドル燐火。剣道部主将も燐火に片思いと言うわけだ。

「それでは私の気持ちが納まりません。あなたも自分の所為で部員に処罰が来るなど心苦しいでしょう。私の所為で華に処罰を与えたりはしたくないので、主将さんが嫌ならどなたでもよろしいですよ」

「ちょっと当子ちゃん」

 頑固な当子と主将の間に燐火が割って入った。

「言っとくけど当子ちゃんに手を出したら唯じゃおかないからね」

「燐火先輩、邪魔です。退いて下さい」

 柔らかく言うが、その声にはガンとしている。

 一発殴られるくらいなら安い物だ。それで丸く収まるなら喜んで殴られよう。逆にこの気を逃せば面倒臭い。

「そうだわ、こうしましょう。うちとそっちでスポーツマン精神に乗っ取って試合をするの。負ければもう口出ししないわ、その代わりこっちが勝てばチャラよ」

 勝手に申し出る燐火の発言は中々面白い。

「いいんじゃないですか、先輩」

 他の部員も勝つと見越したのだろう。いくらスポーツ万能燐火がいるとしても、眼鏡二人に不良とでも思っているのだろう。

「・・・わかった。それで手を打とう」

 勝手に承諾するのを今度は燐火を押し退けて言った。

「勝手に話を進めないで頂きたい」

 一歩前に出て、続ける。

「で も、殴れないというなら仕方ないわ。ただ、二対二の剣道の試合にしましょう。三分二本勝負、一勝引き分けならこちらのこちらは華の事はチャラ、そっちが勝 てば口出ししません、二勝勝ちなら剣道部への優遇をしましょう。ただし、こちらが二勝ならこちらの言う事を聞いていただきたい。それで今回のごたごたは全 てちゃらにもなりますし、一石二鳥、どうですか?」

「こっちの土俵でとは気前がいいな。それでいいならこっちは構わんが、誰が試合をする気だ?ルールも知らずにできるほど簡単なスポーツじゃないんだ」

 燐火のナイス提案のお陰だなと思いつつ、答える。

「あたしと華は一様経験者ですから、さほどそちらの土俵ではないですよ」

 そう、むしろこちらに有利だ。

 剣道をまともにできる顧問は一人、こちらの道場は複数、その教師と死ぬ思いで稽古をしているのだ。悪くとも一勝はできる。

「そちらはあなた方お二人でよろしいわね」

 負ける気など毛頭ない。



「て、訳だから華ちゃん明日防具持ってくるように」

 行き成りの発言に、左九は口を噤んだままだった。

 偉く不機嫌顔で左九が部室に入ってきたと思ったら、当子が明日剣道部と試合するから勝ったら左九にはお咎めなしねと言った。

 この生徒会長のハチャメチャさに頭痛がした。

「滝神さん、勝てる見込みはあるの? 男子相手に」

 見た目同類の運痴の当子が剣道がそれ程強いとは思えずに猛が言った。

「この前の稽古は好調でしたから、多分勝てますよ。何度か剣道部の稽古を見た事がありますけど、相手はこっちの事全く知らないんです。それだけで勝機はありますよ」

 その物言いにやはり心配になる。

「でも、何でそんな事をする事になったんだい? 馬鹿も偉く不機嫌だし」

 それに、当子の後ろの燐火が肩を竦めてもうお手上げとジェスチャーをした。

「今日は早いですけど終わりにしましょう。球技大会までは余裕がありますから平気でしょう。別に試合応援は来なくてもいいですから」

 荷物を纏めると、華の頭を机の上に置いてあったファイルでぺしぺしと叩いてから、

「なんか面倒臭いしどうせ華ちゃんが悪くないから理由聞かないけど、弱者の意見は通らないんだから明日は絶対勝つわよ」

 何があったかしらないが、理由も聞かずに悪くないと決め付けれる当子は危険なタイプだ。左九が悪者ならば一緒に自滅だ。

「じゃ、剣道部顧問に話を通しておきたいのでお先に・・・そういえばストーカーは今日は来てないんですか?」

「あら、そう言えば見ないわね」

 貞月の事をすっかり忘れていた声で燐火が言った。いい寄る男など星の数、今更逐一覚えてなどいられないのだろう。

「学校には来てましたよ」

 授業には出ていたなと思い出す。

「別にどうでもいいんですけど、それじゃ、お先」

 胆の据わり方は燐火以上の当子が早々に生徒会室を後にした。



「・・・・・すげー女」

 燐火の姿を見つけて後を追ったら丁度オレンジ頭が剣道部員を殴り飛ばしたところだった。

 一部始終を隠れて盗み見て盗み聞いた後、インテリはインテリでも猛牛のようなインテリだ。

 女が自分の顔を殴れとはよく言えるものだ。

 ああも気の強いインテリ、ますます嫁の先がないだろうな。





「あ、秋江さん」

 剣道部の顧問に試合をする旨と審判をしたいと頼んだ後、丁度靴箱で、夏深の妹で元生徒会長でもある四季 秋江の姿を認めて声をかけた。

 弱みを握っているものの、それをおおっぴらに使って脅すよりも健気な妹役でいるほうが得策だと位置づけている。

「・・・今帰り」

 当子に引け目を持っている為、戸惑いがちに言葉を返してきた。

 やはり男の機嫌取りは料理だろうかと思っていたが、夏深に直接聞くのもと思っていた為、丁度いい。

「あの、行き成りなんですけど、夏深・・・さんの好物って何かありますか?」

 当子が夏深に気を向ける分には一向に賛成派な秋江が少し悩んでから答えた。

「あいつ和食派だから煮魚とかオヤジ臭いのは好き見たいよ。特に嫌いなものはないと思う。・・・夏深に作ってあげるの?」

 次男の冬祈に対してのみ異常なブラコンである秋江は、当子が冬祈でなく夏深に好意を抱くのは万々歳だった。

 わざと少し頬を染める。

 料理は今は亡き祖父に作っていたし、今では自炊の一人暮らしをしている為に食えるものは作れる。

 夏深が暇な時にでも料理を作るのもいいかもしれない。

 よし、この手で行こう。

「あの、いつ暇か聞いていただけますか? ちょっと夏深さんと喧嘩してしまって、仲直りがしたいんですけど、連絡が入れにくくって」

 セレブ使用の可憐な声で頼む。実際、電話もできず、電話も来ないのだ。人伝ならば気も楽だ。

「解ったわ、聞いとく」

  唯でさえイライラしているのにあんまり剣道部がうざかったのでついつい喧嘩腰になってしまった。早くこの状況を脱しないと又イラついて面倒が起きかねな い。本当は喧嘩を吹っ掛けて一発殴らせて処遇の変わりに言う事を聞けと言うのも有りだなと思っていたのだが、左九が殴ってしまったのは誤算だった。






   三



「・・・何だお前か」

「何だとは何よ」

 ノックもなしに入ってきた人間を有りもしないのに当子かと思って顔を上げた自分に不機嫌になって機嫌悪く言った。

 妹の秋江は冬祈にべったりで、夏深に会いにくるときは何かしら企んでいるか頼みがあるときだけだ。

「何のようだ」

 こんな時になんだと溜息を付きながら聞く。

「今日婚約者さんからお兄ちゃんと喧嘩したって言っててね」

 あいつはこいつにまでそんな事をふれてるのかと腹を立てたが、秋江の続きを聞いて怒りは消し飛んだ。

「落ち込んでたわよ。それで好きな食べ物聞かれたわよ。それで仲直りするんだって、それで、いつ暇か聞いて欲しいって」

 秋江がいなければ歳がいなく顔を赤くする所だろう。

 黒革の手帳を開いて空きを捜すが目を凝らしても見つからない。

「・・・明後日の七時からなら少し時間を空けられる」

 今日明日やれば何とか開けられるだろう。

「直接向こうに行くんでしょ?」

「そうなるな」

「じゃ、直接そう伝えておくわね」

 用件だけ聞くと秋江は直ぐに部屋を出て行った。

 消えたのを確認してから、手で口を覆った。顔がにやけているのが見ずともわかる。

 料理を態々作ってくれるというのだ。あまり味は期待しないで行こう。唯でさえお抱えシェフのいる家で舌が肥えているのだ、普通の飯は不味くすら思うだろう。味よりも手料理に意味があるのだ。

 全く、あんな子供に翻弄されているな。





「当子ごめん」

 防具を生徒会室に置きながら、朝一番に左九が当子に謝った。

 燐火が左九が殴ったのをチャラにする為に殴れとまで言ったと聞いた。当子のことだから一発ぐらい笑って殴らせただろう。

「いいよ、別に」

 あんな事を言われてカッとなって殴ったのは確かに悪かった。それをチャンスに変えられたからいいものの、もっと迷惑をかけていたかもしれない。

 何より、理由を聞かないでいてくれるのは有り難かった。理由を言うのも屈辱的だ。

「ただし、真面目にやってよ。絶対二本勝ちして、完膚なきまでの負かすのだ」

 その前向きさに惚れる。

「もち、あんな男に負けねーし」

 ホント可愛いよな。当子は、

「あ、それであたし主将とやるから華ちゃん丸刈りね」

「俺が首相やる。あんなゴリラと当子戦わせられないし」

 それを聞いて、当子がぷっと吹き出した。

「馬っ鹿ね。燐火先輩の前で主将がマジでやれると思う? それにあたしは生徒会長よ、いいとこ取りしたいじゃん」

 たまに、すげーカッコいいから困る。



「当子ちゃん、カッコe〜」

「それはどうも」

 放課後に更衣室で胴着に着替えていると、燐火が驚いたと褒めだした。

「え〜、ホント似合ってる。そっちの髪型のがいいって、何でいつもしないの?」

 可愛いからしないんだけどなどと言ったら嫌味でしかないので止めておく。

 下ろした髪をアップでお団子に纏めると、眼鏡はしたままでいる。

「やっぱ胴着が一番似合う」

 更衣室から出てきた当子を見て、左九が言った。

「そりゃどうも、華ちゃんは相変わらず変な似合い方してるわね」

 当子と同じ上下白の胴着を着たオレンジ頭の左九は確かに変な似合い方をしている。

「何か外人が着物聞いてるような異様さね」

 燐火がしげしげと見ながら言った。

「へー、案外似合うもんだね」

「貞月先生火どのボディータッチはセクハラですよ」

 後ろから抱き着いてきた貞月の手を燐火が思いっきり抓りながら言う。

「・・・・い、痛いよ燐火ちゃん」

 ふんと鼻を鳴らして、燐火は貞月から距離を取った。

「でも髪型だけで大分と感じ変わるじゃん。そっちの方がモテルぜ」

「それはどうも、邪魔なんでどいてくれますか?」

 ぶっちょう面で返しながら防具袋をわざとぶつけて行った。

「華ちゃん軽く打ち込みしとく?」

「しとく。メニューどうする。試合前用だと2・30分かかるし」

「だね。体操してから基本打ちの四種各三本と、自己申告一本勝負でラスト切り替えしプラス面打ち一本でいっか」

「そだな」

 二人の後ろを付いていきながら、横の猛に燐火が聞いた。

「今の意味解った?」

「さあ」

 道場に一礼をして入ると、既に着替え置いている剣道部員の姿があった。

 上下紺胴着でもいかついのに、胴着の左肩に白刺繍で『百合乃下』と入っているのが不似合いで気持ち悪いとすら思う。昨日の胴着には入っていなかったのを見ると、わざわざ試合用の胴着を着てくれた訳だ。

「逃げずにきたみたいだな」

「あんまりお決まりの言葉過ぎて返す言葉も見つからないね。・・・・試合開始は4時くらいでいいかしら」

 時計を見上げてから聞くと、主将の大男が当子をまじまじと見た。

 ちょっと変えただけでこうも周りの反応があるとゲンナリする。

「後道場の隅借りたいんですけど、使えばいいですか?」

 語尾を強めて言うと、主将が我に返って言葉を発した。

「あ、ああ、俺たちは上座でやるからそっちは下座を使えばいい。おい、誰か先生呼んで来い。四時開始だ」

 防具袋から防具を出すと、微かにエグイ臭いがする。

「あたしこの臭いで何度辞めようと思った事か」

「うちの道場白主流じゃん、汗染みで黄ばむのはホント勘弁だよな」

 白が多い防具を並べて、道垂れと胴を手早くつけると互いに顔を見合わせた。

「でも人どつくの気持ちいのよね」

「勝った瞬間は快感だよな」

 拳をそれぞれ掌に打ち付けると、二人して無言でニヤリとする。



「双方前へ」

 審判の声がかかって左九ともめた丸刈りが前に出た。

「ねえ、当子ちゃん、今更だけど本当に勝てるの?うちの剣道部って結構強いのよ」

 下座で待機をしている為、燐火が横に寄ってきて小声で話しかけてきてもさほど目立たなかった。周りは既に応援ムードだ。唯でさえでかい剣道部の『ファイト』の掛け声が聞こえている。

  部員が喋ったのだろう。道場の下の窓や外へ続く出入り口には結構なギャラリーがいた。放課後のまだ早い時分だし、丁度道場の外側小さな空間がある為、体育 館が使えない時間は男バスが練習に使っている。その男バスの連中も練習を一時中止して試合を見物している。これで負けた方は赤っ恥の上明日にはいい噂の種 だ。

「はじめっ!」

 審判の教師の野太い声がかかって試合が始まった。

「大丈夫ですよ。左九の勝率の方があたしよりやや上ですもん」

 暢気に言いながら伸脚や屈伸をして体を解す。

 互いに威嚇するような声を出した後、真っ向勝負で互いに面に出た。

「面あり!」

 その瞬間に白の旗が上がる。

 外からおおーと感嘆の声と小さい拍手が聞こえた。

「え・・・さっきので一本?」

 竹刀を目で終えていなかった猛が唖然として言った。

「合い面させたら左九は強いですからね。瞬発力の男ですもん」

 ふふんと笑うと、試合に背を向けて面をしたままの頭を小さく壁に打ちつけた。

「山崎先輩より早い一年が何で生徒会なんて入ってんだ」

 同じ一年の剣道部員が小声で喋るのをもう聞いていない。

 もう一度開始がかかってまた一撃で白旗が揚がる。

「小手あり」

 竹刀を納めて二本ストレート勝ちをして戻ってきた左九に労いの言葉もなく、又左九も当子へ応援の一言もなく燐火達のそばへ下がった。

「女だから手加減したなんて決まり文句後で吐かないでください」

 周りに聞こえる大きな声で言うと、男バス部員が剣道部がすでに左九にぼろ負けした事もあって当子のその言葉に笑い声を上げた。

 相手が苦い顔をするのがわかった。生徒会との試合なため、教師はもう何も言わなかった。試合コートに入れと小さいジェスチャーをした後、

「双方前へ」

 と声がかかった。

「当子ちゃん強いの?」

 燐火が心配気に左九に聞くと、左九は肩を竦めた。

「はじめ!」

 開始合図とともに立ち上がって互いに発声をする。左九の腕前を目の当たりにして、少しは慎重になったのか、直ぐに出てこず、間合いのせめぎ合いが続いた。

「胴あり!」

 又白旗が揚がり、今迄で一番の歓声が上がった。

「相変わらず惚れるほどにカッコいいなぁ」

「今のってどうやったの?」

 スポーツ万能でも剣道は経験のない為、さすがの燐火も動きの意図までは読めずに聞いた。

「相手が面に来たからそれを弾いてその動きのまま腹をかっさばいた」

 説明している内に開始ラインに戻って再び試合が始まった。

 そして、動揺した相手の何の捻りもなく面に跳ぶ。

「・・・面あり」

 さすがに主将まで即行にストレート負けをしてしまい、教師も怒気の入った声で言った。

「勝負あり」

 一度も赤旗が上がらないまま、試合が終了した。



 左九と並んで面を取った時に、試合時とは違ったざわつきがおきた。

 燐火クラスか、それ以上の美人が面から出てきて、キリリとした目に汗の伝う頬、髪を乱雑に掻き揚げる姿はで艶っぽい。

 纏めていた髪を解いて立ち上がると、審判の教師に呼ばれて説教を受けている二人の後ろに付いて教師に指導を待った。

 礼にはじまり礼に終わるスポーツとは言うが、その律儀さと試合前のふてぶてしさのギャプが面白い。

「まさかあんな美女とは思わなかったな」

 貞月は眼鏡なしの当子を見て思わず呟いた。

 男慣れしている燐火もいいが、当子も中々。



「着替えてきてからお話をつけましょう」

 勝者の笑みで言うと、当子は道場を後にした。

「当子ちゃん最高!超カッコいい惚れちゃ・・・・くッさ、臭い」

 抱きついてきた燐火が胴着の臭さに身を捩って当子から逃げた。

「・・・今日そんな汗かいてませんからマシですよ。ねえ」

「二本打っただけで試合終わっちゃったしなぁ」

「あ、華ちゃんカッコよかったよん。流石出技の佐助」

「いやいや、伊賀の影丸のような腹の掻っ捌きようにはまけまさあ」

 しょうもない会話をしながら、折角学校では地味でその愛らしさを隠していた当子の素顔がバレてしまったなと、気が重くなった。元は自分が悪いのだが、できる事なら面を外す瞬間の当子は学校の奴らには見せたくはなかった。あれは良過ぎる。



「当子ちゃんさ、どうしてそんないい顔隠そうとするの?」

 シャワーを浴びてびしょびしょの髪を乾かしている当子を見て、燐火が心底不思議そうに聞いた。

「だって、生徒会には燐火先輩がいますから、態々私が体を張って前に出なくてもいいじゃないですか」

「えー、だって男の子にご飯ごちしてもらえるじゃない。他にも得点あるし」

「いい女ってその分僻みもありますからね」

 生乾きの髪をそのまま三つ編に編み上げ、眼鏡をかけた。

「それに、いざと言う時超美人って言うのも幻っぽくて面白いじゃないですか」

 ブレザーを羽織っていつもの当子に元通りになった。

 燐火の当子への見方はワンマン型の勉強家、元々顔はちゃんとしたら可愛いだろうなとは思っていたが、ここまで化けるとは思っていなかった。

 燐火の姉も美人で、生徒会長をしていた。家では自分勝手でしょっちゅう喧嘩をしていたが、頭もよくて尊敬はしていた。二年前、消えるまでは、

 その姉と当子は頭が良くて何でもできてカッコよくすらあるその様、近しいものがあった。

「左九君が惚れるのもわかっちゃうな。当子ちゃんカッコよかった。あんなカッコいいならあたしも剣道やってみよっかな」

「・・・・正直集中して試合してる時って、何の技やったか覚えてないんですよ」

 胴着を畳みながら困ったように肩を竦める当子を観察しながら、どうしてこの青春真っ只中におしゃれっ気ゼロで生きるのかが不思議でならない。

「あ!そっか、彼氏が他所ではお洒落するなって言われてるのね」

  当子に婚約者がいる事は知っている。それも理事の長男がそうだとも知っている。それを知った為に当子をリコール選挙で会長に立てたくらいだ。当子は燐火が 知っている事を知らないようだし、実際に好き好んで婚約しているのかまでは知らない。政略的なものだとは聞いているが、

「は?」

 当子が顔を上げてぽかんと口を開けた。

「そもそも彼氏いる決定事項ですか?」

  当子と恋話どころか好きなアイドルやらの話もした事がなかった。生徒会ではその日の仕事は来て早々に当子が指示を出し、それが終了したら勝手に帰ってい い。基本的には会議や行事間近以外は自主参加になっているが、今までの生徒会がほどほどの事しかしていなかった為、学校改革のしがいは十分あるのか、各部 の定期的見回りや実質調査、果てには各クラスの調査もし出している。完璧なる高校でも目指しているのだろうかとすら思える徹底振りで仕事はつきないらし い。

「えー、だって、校外で付き合ってる人いるんでしょ?」

 誰か付き合っている人でもいなければ左九がもっと積極的にアピールしても可笑しくはない。左九が当子を好きなのは見ていればわかる。

「・・・・いるでしょ」

 満面の笑顔で詰め寄ると溜息を付いて降参をした。

「いますよ。一様ですけど、特定の人は」

「やっぱり」

「でも校内でそう言う事を持ち込みたくないんで口外しないでください」

  校内では理事に発言力が間接であれ持っている事を知らせたくないのだろうが、上の教師連中はその事実を承知している。何せ当子は無試験で急遽入学が決定し たのだ。その理由くらいは知らされている。その話を盗み聞いた為燐火はその事実を知ったのだが、そんな余談を話す気はなかった。

「大丈夫よ。一様口は堅いから」

「一様・・・ですか」

 胴着を畳むと、それを抱えて立ち上がると、生徒会長当子の淡々とした声で言った。

「さて、勝者の褒美を頂きに行きましょう」





 昨日の晩、秋江から明後日の夜七時に家に直接向かうと言う伝言を聞いた。

 問題は何を作るかだ。

 前夏深の父である春夫に連れて行ってもらった料亭の飯は美味かった。あのレベルで舌が肥えていると考えると普通レベルに美味しいものを食わせてうまいと言われてもお世辞見え見えだ。

「・・・・つってもスーパーじゃなあ」

 今日はもう剣道部との揉め事を消化した後はお開きにした。防具を持って帰らないとならなかったし、明日の買出しもしておきたかった。

 防具を置いて、着替えていつもいく近所のスーパーに向かいながら溜息を付いた。

 普通の高校生が付き合うように愛の告白をした訳でもなく、互いに好きといったのも1・2度だけだ。別にバカップルをしたいとまでは言わないが、大人びてはいても所詮は15歳だ。相手にお世辞抜きで飯くらい美味いと言わせたい。

 同世代の男なら簡単だったろうが、夏深くらいの人間でなければ男として意識もしない。年上なら誰でも言い訳ではなくて、金持ちで頭がよくて背が高くてキスが上手くて・・・

「うーわー」

 自分の思考にウンザリしながらも、あんだけイイ男が手の届く範囲にいる状況に慣れてしまっては、他の男ではそうそうラブの感情等芽生えさせれまい。

 何だかんだ言って、好きなのだろう。多分・・・