一


 滝神当子に見合い話が出たのは冬の終わりだった。

「ふざけてんじゃねーぞ?このエロ爺」

 高校入学の報告のために祖父の許へやってきた当子は、祖父からのその話に笑顔で即答した。

「相変わらず生きがいいのは構わんが、少しその曲がった舌にアイロンをかけてみてはどうじゃ」

 持病の心臓病が悪化したと、滝神源氏は床に臥せっていた。可愛い孫がやってきたとあって、上体を起こし、肘掛に肘を付きながら美しく育った孫に優しい言葉をかけた。

「お前が反論できる 余地はあると思っているのか?残念ながらワシの直系はお前一人しか残っておらん。あの馬鹿息子がお前を孕ませた後とっととおっちにおって、お陰でワシの番 遠くなってしまったではないか」一瞬の悲しみを見せたが、すぐにその皺の濃い顔に嫌味っぽい色を出した。「桜さんを汚い戦場の矢面にも立たせれんで、お前 なら飛んでくる矢くらい核ミサイルで蹴散らせるじゃろう」

「ふざけんのもええかげんにせえよ。オカンは良くて何で娘のわしが十五で夫持たにゃならんねん。言っとくけどな。あの女狐は爺の思うような花ちゃうぞ」

 関西弁が染み出しながら歯を食いしばった様に言う当子に、源氏は呆れた顔をした。

 言い返そうとして思いとどまり、顔に影を落とすと、急にしおらしくなった。

「実はな当子。滝神 コンツェルの株が急落して、それを立て直すのを手伝ってもらった時、四季の奴に孫に女の子が生まれたら、くれてやると言ってしもうてな。ほれ、あの若造桜 さんに気があっただろう。その思いが叶わない代わりに、自分の息子の嫁としてお前を渡せと言われてな。何せ人身売買って時代でもあるまいに・・・」

 ちらっと当子を盗み見ると、当子は母・桜と似た大きな目を細め、細い唇をにっこり微笑まさしていた。ただ、その黒い瞳笑っておらず、明らかに頬の筋肉は引きつっていた。

「だって、あのままじゃ会社倒産で路頭に迷うちゃうし、今更破ったら今度こそ潰されるだろうし、向こうのは次男で実質はこっちの養子で良いっていうんだもん」

 古い平屋の屋敷に、滝神当子の絶叫が響く。

「なにがだってじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 今すぐおんどれの息の根止めてくれるぅ!!」


   ◆

「きっとすんげ意地悪なのよ。こき使って弄ばれた挙げ句ぼろ雑巾のように捨てられ亭主は外で浮気し放題なのよっ」

 ロールスロイスの中で、当子はさめざめと泣いた。

 祖父からのびっくり発言の後、四季家から正式に夕食に招待されたのだ。今まで源氏が当子を箱入りにして、いかなるパーティーや社交界にも出していなかった為と、源氏が故意に四季家と当子の接点を絶っていた事で、完全なる初対面になる。

「ご苦労様ですねお嬢様も」

「そう思うなら方向変えて」

「我が身は大事ですから」

 頭山 金緒が即答した。

「・・・くっそ雇われ運転手が」

 口汚く毒づくと、窓の外にタンを吐いた。

「でも、よく逃げ出さずに車に乗りましたね。まさかこのまま逃避行できると思ってました?」

「そこまであんたを東山の金さん見たいに思ってないわよ。素直に行くのは相手も見ずに逃げんのは癪だったから。それに聞けば相手は22歳。7歳差よ?相手がロリコンのモームスファンでなきゃしばらくは安全じゃない。それに、上手くいけば四季家乗っ取りだって目じゃないわ」

 ふんとふんぞり返って足を前へ投げ出した。

「桜さん見たいに儚げなら、自分もこのまま攫ってでも助けたい所ですけど、お嬢様の根性と性格が捻じ曲がっていて、面の皮が鍋敷並みで助かりました。何せ職を失わずに済みますからね」

「あの女は私なんか目じゃないくらい面の皮厚いっての。あー、何で誰もあたしを助けてくれないのよ!? まだ中三よ?こんな無知な子供を見知らぬ男の懐に投げ込んで、あたしの周りの大人は糞ばかり」牛乳を飲みながら唸った。

「もう高校生だって仰っていたじゃないですか」

「さてね。まだ入学してないもの」

 一度大きく伸びをしてから髪をアップに纏める。慎ましいお団子にまとめ、白いワンピースを正した。腰のピンクの大きな花形のリボンの形を直した。

「到着ですお嬢様。お別れの熱い接吻を贈りたい所ですが、お嬢様の面の皮に皺を入れるわけには行きませんので、申し訳ありませんが我慢してください」

 車から出る前に、頭山がウィンクをした。

 手を借りて降りると、儚げに微笑みかけた。

「心配はご無用ですわ頭山さん。何といってもあの母の娘ですもの」



「きたか!」

 王座然とした椅子から弾かれた様に四季春夫が立ち上がった。

 目を通しかけの書類を放り出して、秘書の方へと詰め寄った。

「それで、どうだった」

 綺麗にウェーブのかかった髪には白い筋がちらほら覗いたが、スーツ姿のぱりっとした春夫はまだまだ生気に溢れ、若々しかった。

「どうか・・・とは?」

 秘書の肩を揺さぶってもどかしげに問いただした。

「美人だったのかと聞いている! 母親に似ていればさぞ綺麗な娘になっているはずだ」少し顔を顰めてから、「父親に似ていなければ別だがな・・・」

「確かに、お綺麗な方でした。年齢の割りに落ち着いていましたし、とても社長の趣味で嫁がされる様には見えませんでした」

「そうか、美人か!」

 それだけ聞いて満足したように駆け出した。

 途中で振り返って、「冬祈を呼んで来い!」と叫んだ。

 ホールに入ると、白いワンピース姿の少女が目に飛び込んだ。

 ああ、まさに桜ちゃんの娘だ!

 歓喜に震える等何年ぶりだろうと考えをめぐらして、すぐにやめた。今は桜ちゃんの娘をしっかりと見よう。

「ようこそ、滝神当子殿」

 手を差し出すと、はにかんだ微笑を返しながらやうや両手で自分の手を包まれた。思わず左手も添えて、柄にもなくつられて笑ってしまった。

「初めまして、滝神当子です。母様からお話を聞いておりますわ」

 小鳥の囀る声の様だと、夢うつつに思ってしまう。

「桜ちゃ・・・桜さんはお元気ですか?」

 昔の癖が出て、慌てて言い直す。

「はい。元気です」

 ああ、何と素直で愛らしいのだろう。流石は桜ちゃん、こんなに立派に育てて・・・

 そう思うと涙まで出そうだった。

 これが自分の娘だったら、そう思うと、自然とあの男を思い出して涙が引いた。

「それは良かった。こんな所では何だ、どうぞこちらへ」



 そういえば、このおっさん女狐ファンだって言ってたな。それだと操縦しやすい。そう思って当子は心中でほくそ笑んだ。

 後は婚約者の性格だ。

 一般的嫌味なボンボンかマザコンか、案外粗暴で何でも自分の思い道りしたがる野蛮男かも知れない。何にせよ、こちらのペースに嵌めればいいだけのことだ。

 春夫自ら椅子を引いて当子を座らせると、当の春夫はその向かいに腰掛けた。

 人の迷惑も気にせず、ずっとこちらを見られる。嫁に相応しいか品定めする目ではない。そう、青春を思い出している目だ。

「おじ様。わたくしの顔、何か付いていますか?」

 小首を傾げると、後れ毛が揺れた。

「ああ、すまんすまん。あまりに桜さんそっくりだったものでな。何せ桜さんは昔はアイドルだったから」

 調査では気難しい頑固ものと記されていたが、流石に相手によるらしい。既にメロメロだ。

「そんな。私はお母様ほど綺麗じゃありませんわ。肌だってあんなに透き通った白ではないし、これでもスポーツが好きなんですけど、それで怪我した痕も・・・ほら、指なんてこの前包丁で切ってしまって」

 薄緑色のマニキュアを塗った左手を少し前に出すと、絆創膏の貼られた指を見せた。

「本当だ。気をつけないといけない。まあウチには腕の良いコックが何人もいるから、少しは怪我をしなくなりますよ」

 母親とダブらせていた視点を少しずらしてやると、やっと相手が滝神当子自身に目をやってきた。いくら母に好意があろうが女狐の二番煎じで収まるのは癪だ。それに私自身が相手を操るためにも、桜の娘の枠から外れておく必要がある。

「料理は趣味なんです。作った物をおじい様が美味しいって食べて下さると嬉しいんです」

 わざと相手の嫌いな爺と仲が良いのを示す。実際、料理も作れるし、爺に食わせてやることもあるが、やれ西洋かぶれだやれ味が濃いといつもの嫌味の言い合いをするに終わるが、それを言う必要等ない。

「ほう、それは羨ましい。私にもいつか食べさせて頂きたい」

 案の定目を細める。

「お口に合うか心配ですけど、母が教えてくださったお菓子は一度食べて頂きたいです」

 照れながらはにかむと、春夫が顔に出さないように笑むのが感じ取れた。

「それにしても冬祈の奴は遅い。レディを待たせるとは、すみませんね。何せ少し変わっていまして」

 小首を傾げる。その内面で、変体趣味かオタク野郎じゃないでしょうねと呟く。

「ああ、変わっていると言っても性格は長男と違って温厚で優しいですから心配しないでください」

 じゃあ長男である跡継ぎは血気盛んで優しさもない男なのかとツッコム。

「冬季様その様な格好でっ」

 丁度当子がひょろひょろのカマ出てきたら反応どうしようと思った時、ドアの向こうから静止の声が聞こえ、その後直ぐに人が入ってきた。

「・・・そのカッコはないだろう」

 終始笑顔だった春夫の顔を苦く歪んだ。

 第一印象は、庭師見習い。土で顔を汚し、シャツにジーンズのこの豪勢な家には余りに不釣合いな格好。何よりそれが頭に残った。

 これで呆けてしまうのは不味いと、自然と出そうだった笑いをそのまま上品仕立てで外に出した。

 クスクスと、口に手を当てながら、決して馬鹿にした笑いでなく可愛らしく笑った。

「あ・・・すみません。こんな格好では失礼でしたね」

 頬を染めて、頭を掻く相手に、椅子から立ってゆっくり近づいた。

 次男冬祈。長男とは腹違いでイギリス女とのハーフ。髪は薄茶色で、瞳は深いブルーだ。顔はさほど父親似ではない。完全なる優男だ。身長は頭2個は違うか、結構な長身だ。まあ頼りなさそうなのは差し引けばルックスは十分合格だ。

 それほど外見に贅沢を言う気はなかったが、良いに越したことはない。

「土いじりがご趣味なんですか?」

 近くまで寄ると、見上げる形で微笑んだ。相手がある程度でかいほうが斜め下からの見上げる攻撃がし易い。

「あ・・・・はい。ちょっと種まきを・・・」

 さらに見る見る顔が赤くなる。これで7つも年上の男とは、まあ嫌いなタイプではないけれど、

「まあ。お花の種ですか?」

「あ・・・はい。咲くのはまだ大分先なんですけど、あ、今なら温室の薔薇なんかは咲いてます」

 女の子の興味を持つ方へと間抜けた振りして模索中か・・・、まあ薔薇は好きだしね。

「素敵。後で見せていただけますか? 私薔薇は花の中でも好きなんです」

 あの棘を鼻にくっつけて『サイ!』とかやって遊んだ。今思うとあほっぽいけど、

「あ、じゃあ案内します」

 目を細めて嬉しそうに微笑まれて、微笑み返しながら、警戒心が沸いた。

 こんなベタな優男は信じがたい。案外キレるとやばいとか、私並みの面の皮がないとも限らない。一見悪いやつよりこういう奴のほうが気をつけないといけない。

「冬祈、取り合えず着替えてきなさい。その格好では食事ができんだろう」

「あ、はい。失礼します・・・」



「驚いた。結構可愛い女の子じゃない」

「結構?それは言い方として慎まし過ぎないかい」

 四季秋江が着替えをしている冬祈を眺めながら肩をすくめた。

「確かに目を見張るような美人ね。でもそれならあたしだって引けを取ってないと思うけど?」

 服を脱ぎ捨てて、顔を洗う冬祈には聞こえない声で呟いた。

 長い茶髪に挑戦的な唇、当子よりも一見では性格のきつさが出ていて、それを引いても猫かぶりの当子の方が世間一般の美人だろう。

「それにしても、年下のお義姉さんになるなんて聞いてないわよ」

「父さんの命令じゃ仕方ないだろ?どっちにしろ僕か兄さんがあの子と婚約・結婚になってたんたら一緒だろ」

 ベルトを締めながら妹を諭すように言った。

 実際17の秋江は当子より年上だ。ただ、内面では当子の方が二・三枚は上だろう。何せ性格の悪さを塗装して隠せるのだから。

「ま、あれだけの美少女で、それも優しいなら文句はないよ例え養子でも」

 シャツのボタンを留める兄の指をうっとり見つめながら、

「あいつ絶対性格悪いわよ。それに、ああいうのが好きなのは夏深よ。お父様と趣味が近くて政略好きで意地汚い。何で夏深じゃないのよ」

「兄さんは政略結婚するんだろ? あの子は父さんの趣味、会社の利益じゃない」

「だったら養女にでもすればいいのに」

 完全に正装に身を包みかえると、御曹司に見えるようになった。

「じゃ、父上の機嫌を損ねないようにするよ」




「で?どうでした手応えは」

 だらけた格好をする当子に頭山が問いかけた。

「んー、ぼちぼち じゃない?しょっぱなら社長の椅子貰おうとは思わないわよ。それに、資料では三兄弟。その内婚約する次男坊とおかんにゾッコンだった父親しか会ってないも の。次男は一見優男、猫かぶり率も計算して、注意は要るわね。父親のほうは結構好きよ。ワンマンであそこまで来たんだ物」

 牛乳を飲みながらとろんとした目で言った。

「お嬢様は有能な人間にしか興味ないですからね」

 そのお嬢様に引き抜かれて自分専用の運転手に縛るのは少しは有能だと認めてもらえているからか、と、苦笑った。

「問題は長男。次期社長の座から転がった貰わないと。後は三番目も注意しとかなきゃ、末っ子で女の子、きっと我が儘で私の事嫉妬して嫌うわよ。イイ女はそう言うさがだからね」

 車の一定のリズムに揺られて、眠くなりだした当子がうとうとした声でぼやいた。

「取り合えず・・・・色々と問題あり・・・ね」

 小さく欠伸をかみ殺すと、シートに頭を擡げて眠りに付いた。

 車で寝入った当子を又ベッドまで抱えて運ばされるのかと思うと、又苦笑いがこぼれた。

 小さい頃はもっと無邪気で楽しめることを楽しめるだけ楽しんでいた当子は、最近はなりを潜めている。昔のような根っから可愛いお嬢様に戻ったとしても、抱える体重は昔のように軽くはないんだよなと苦笑せずにはいられなかった。



「全く。ウチの情報網の薄さときたら話になんないわ」

 バンと机にファイルを叩き付けた。

『それで態々ママの所にお電話くれたの?うれしいわ』

 国際電話の相手が言葉とは裏腹なつっけんどな言い方をした。

「そーよ。あんたの所為であたしがこの歳でお嫁入りさせられんのよ?ちったー責任感じて丸秘情報よこしなさい」

『それが人に物を頼む態度かしら当子ちゃん』

 胸中で狐と毒づいた。

「あーはいはい。おっさんはあんたにゾッコンだったんでしょ?どうせ鉄火面被って愛想振りまいてたんでしょ?」

『どうしてこんな性格に育ったのかしら。まあいいわ。ママだって一人娘は大切ですもの。春夫さんはあんたの外見でいちころよ。ただし、何にでもはいはい言うのは厳禁。ほどほどに自分勝手を通すの。美人の要求をこなすのは男のロマンだからねっ』

 そこから急に女の声色に変えた。どうせ人が近くに来たのだろう。

『長男の夏深君には会ったことあるわ。長身で、眉がキリってしてて、捕食者側の男って感じだったわ。春夫さんよりワンマン型になるわね。でも可愛いかったわよ』

「可愛いって何年前よ」

『高校生くらいの頃よ。生徒会長をしているって言ってたし、目は野望深げでそそられたわ。当子ちゃんの豆粒ほどの女心が少しは擽られるんじゃないかしら。なよい男より俺が守ってやるからついて来い型に弱いのよね。実は乙女な当子ちゃん』

 からかう様に言い出して、周りに人気がなくなったなと勘繰りつつ、ため息をついた。

「私の趣味きいてんじゃないの。それなら相手のタイプの方が聞きたいっつの」

『あら、やっぱり興味あるのね』

「あるある。あたしが社長になるか社長操る気なんだから」

 やる気なく返せば、クスクスとした笑い声が漏れてくる。

『当子、駄目よ目的 を軽んじて人に喋っては、いつどこで誰が聞いているかもわからない。それに、信用している人間だけにしか言ってないなんて言い訳も駄目、どこに裏切り者が 隠れてるかなんてあなたの目ではまだ見つけられないわ。女はね、黙って語らず目的は心に秘める事、でないとイイ女は務まらないのよ』

 妖艶なこの声で、何人の男を惑わすのやら。

「そうね。母親が裏切らないとも限らないものね。で、女のタイプは」

『年上好みでなければ当子ちゃんは射程内よ。私に見惚れてたから、タイプが変わってなきゃね。そろそろ戻らないといけないから切るわよ』

「ん。悪かったわねお楽しみの時に、バイバイ」

『え、ちょっ当・・・』

 母親の声を途中で切ると椅子に座りなおした。

 流石に女狐相手に最後まで騙すのは難しい。その狐が母親ならなおの事だ。不安を悟られてはいけない。一気に飲まれるから、

「くっそ、データが少なすぎる」

 己からも不安を隠さなければならない。

「誰が嫁になんて行くものか」

 出なければ激動に飲まれる。

「会社のため社員のため、エロ爺のため、自分のため」

 目的を作ってそちらを言い訳にすればいい、それで自分を偽ればいい。

「誰が、他人の言いなりになるものか」

 誰の助けも当てにしない。

 それでいい。

 受話器を取った。

「私だけど、情報収集してきて。・・・そー、四季家全般よ。個人情報以外にも会社の状況も、ウチとの繋がりも。・・・そう。期待してるわ。よろしく」

 ガチャリと切れる音がした。

「大丈夫よ」

 一人呟いた。

「何か方法を見つけるわ。私は馬鹿じゃない」






   二



「そういうのには興味ない」

 書類を投げ出して夏深が言った。

「ええ、お兄ちゃんこういうのタイプでしょ?」

 カタカタとパソコンを触りながら、妹には一瞥もくれずに溜息を漏らした。

「お前の猫なで声は通じない。それに年下過ぎる。後そう言う事に興味ない」

 ぶうっと膨れる妹に、終いには猫を追い出すようにしっしと手を振った。

「こっちは仕事中。遊びたいなら冬祈に遊んでもらえ」

「ケチ。ばあかっ」

 ばたんと閉められたドアをちらりと一瞥してから、投げた書類を拾い上げた。

「・・・・・」

 ちらっと見て、左手はキーボードを叩いたままでいた。

「・・・興味ない」

 右手もキーボードに戻すと、呟いた。

「興味ない」

 そこで電話のベルが鳴った。




「嫌です」

 ディナーの肉を口に入れる前に言った。

「・・・当子ちゃん?」

 肉を飲み込むと、

「折角の申し出ですが、試験も受けていないような学校へは行けません。私ズルは嫌いなんです。それに、進学する高校で十分満足できていますから」

 3度目の夕食の誘いの席で、当子は春夫が理事を勤める高校への進学を勧められた。無論優遇されるし金だっていらないだろう。ただし、恋愛沙汰がないように見張られ、それ以外でも監視が徹底的に行き届かされるわけだ。

 将来箱入り決定なのに、高校くらい自由に行きたい。行く予定の高校は中学からの部下が何人もいる。その方がやり易いに決まっているし楽しいだろう。

 だからいくら名門高校への無料パスがあっても行く気はない。

「しかし、百合乃下はイイ学校だ。息子達は二人ともそこの卒業生だし、夏深は次3年だから色々と」

 春夫の申し出を笑顔で遮った。

「嫌です」

 今までにない強い物腰に、気圧された春夫が再び口を開けると、先手を打って当子が言った。

「嫌です」

「・・・わかったわかった。流石桜さんの娘だ、この話は又今度にしよう」

 流石にあんたもしつこいなと毒づいた。

 フキンで口元を拭うと、冬祈の方へ向いた。

「今日はバラ園に連れて行ってくださいますかしら?」



 この前の日、やっと資料がそろった。

「最近手を出している宝石事業は低迷。十八番の薬品は安定した上々。全体的には発展中の優良会社。まあ元が財閥系だしね」

 車の中でぼやいた。物を考える時は結構理由をつけて車を出させる。部屋よりも考えがまとまるのだ。

「会社自体を攻めるのは難しいですね。何せこちらは上々どころか右肩下がり。困った困ったですね」

「いいわよ。元々会社をつつく気なかったし」

 すねた口調で別のファイルを開いた。

「・・・」

「結構好みでしょ」

 無言だった当子に頭山が茶化しを飛ばした。

「うん」

「え・・・」

 あんまりに素直な答えが返ってきて頭山のほうが間抜けな声を返した。

「少なくとも次男より好みよ。顔だってハンサムじゃない」

「そういうのは興味ない人種だと思ってました」

「ブオトコが嫌いな訳じゃないわよ。頭よければ」

 肩をすくめた。

 ざっと目を通していくと、アメリカ留学もしてて大学もいい。先日まではヨーロッパ周りの出張だった、と。既にいくつかの社長代行の仕事を行なっている。

「24でこれは出来すぎじゃろ」

「お陰で次男は出番なしですけどね」

「ああ、ホントだ。所謂負け組みか。学歴も良いけど兄の二番煎じ、あの笑顔の裏は嫉妬心の固まりか、自愛の神のごとき真の穏やかさか」

 一枚めくって長女秋江の写真を見る。いかにも甘やかされた娘だ。

「歳は近いわね。へー、生徒会長。・・・そういや長男もやってたって婆が言ってたわね」

 バックミラーで頭山がこちらを見ているのに気づいてきょとんとした顔をした。

「何」

「着きましたよ」

「ああ、ホントだ」

 服を買いにきたのだとやっと思い出した。




「・・・・・・・・・・・・・え」

 書類の内容を思い出していた当子は、道に迷っていた。

 アホヤン。と口には出さずにツッこんだ。

 爺の屋敷でもよく迷子になったが、女狐はそんなとこだけ父親にと笑っていた。確かに、よく迷子になる子供だったし、方向音痴は今だ健在だった。

 さて、どうしたものか、

 回れ右をしては見たものの、今まで誰かに見つけてもらわない限りもとの位置に戻れたためしはない。



 丁度トイレから帰ってきた夏深が当子を見つけた。

 黒い髪は緩やかな三つ編みで肩に垂らしている。顎に手を当て、眉をしかめてきょろきょろ辺りを見回しながら歩いていた。

 興味ないと心中で呟き、見なかった事にしようとしたら、はたとこちらに気づかれた。

「あ、すみません。道に迷ってしまったんですけれど、道を教えてくださいませんか」

 小さく息を吐くと、仕方なく頷いた。

 細い体に、黒のドレスが絡んでとても15には見えない。

 興味ないと、もう一度釘を刺す。

「ホールまででよろしいか?」

 照れたように微笑みながら、

「はい。結構です。すみませんお手数をおかけして」

 耳にはみ出した髪をかける仕草は反則だ。

「この歳で迷子になったなんて・・・恥ずかしい」

 頬がほんのりピンク色に染まっているのを見て、全神経を自制心に送り込む。

 興味ない



 くっそ、何か喋れよ気のきかん奴め。

 道すがら毒づく。

 第一こんな間抜けな格好で長男と会うはずじゃなかったのに。

「あの・・・冬祈さんお兄さんじゃないですか?」

 何も喋ることがないし、調べさせた等知られるのもあれなので、今この男を長男坊だと理解したように聞いた。

「ああ、おたくは・・・?」

「あ、すみません。わたくし滝神当子と申します」

「滝神さん・・・ね」

 女狐モードに入っている私につっけんどとはけしからん男だ。

 再びの沈黙。全く、喋りも嫌だがこういうタイプはもっと疲れる。

 角を曲がると直ぐにホールが見えた為ほっとした。

「ここまでくれば平気でしょう」

「はい。ありがとうございました。あ、お名前は夏深さんでよろしいんですよね」

 一度背を向けたが、首だけこちらに向けて苦笑された。

 礼儀知らずめ。と毒づく。

 こちらも流石にこれで道に又迷い等はしない。ホールに入ると春夫が安堵の顔を見せた。

「探しましたよ。冬祈からいなくなったと聞いた時はひやりとした」

「すみません、途中でまぐれてしまって。夏深さんにここまで送って頂きましたの」

「夏深にお会いしましたか。愛想のない子なので失礼はなかったかい?」

「いえ、こちらこそ。わたしって、どうも方向音痴で。ご心配おかけしました」




「お前の思惑にはまりそうだ」

 電話の相手に夏深は苦く吐いた。

『思惑だなんて、ただ今日のは猫かぶりで決め込んでたからあれで本性見たらきっと引けなくなるよ』

「箱入りの温室育ちに見えたけどな」

『はっはっは、子供の頃からガキ大将で、ターザンごっこで骨を折って帰ってくるのに?それで泣きもしないのに?』

 うそは言わないこいつのことだ。本当なのだろうがどうにも信じがたい。

『こっちとしては、どうせ嫁に行くならお前の方がまだ幸せになると踏んでるんだ』

「そりゃあお前は昔から冬祈のことを好きじゃなかったからだろ」

『ああ、そうだ。今日電話したのは頼みがあったんだ』

 思い出したかのように切り出される。

『何とかして百合乃下に入れてくれないか? 行くと言い張ってる公立じゃあ生徒会はただのお飾りだ。どうせなら母校のあの権力の強い生徒会で遊ばせてやりたい』

 全く何を考えているやら。

「自分で説得したらどうだ?」

『素性がバレルのは好ましくない。昔は偉く扱き使ってくれたよな会長殿』

「裏でこそこそやるのが好きなんだと思っていたが? 俺に権力かざして進路を無理やり変えさせて、嫌わせようって魂胆か。安心しろ、用もないのに態々近づきはせん」

 鼻で笑う声がした。

『別にお前を悪役にし様って訳じゃないさ。まあ悪役の似合う顔だとは思うけど』

「借りを返すと思えば可愛いものだ。どうせもっと意地汚い策略が待ってるんだろ。そっちには手が貸せるかは疑問だがな」

『君に仁義があって助かるよ』



「まてぇ!エロ爺」

 呼び出された当子は源氏に向かって怒鳴った。

 以前来たときより痩せて見えた。心臓病の再発は本当らしい。

「えー・・・もう手続きしちゃったもん」

「もんって可愛く言って許される歳か!?何で勝手に入学手続きしちまうのよ。何?四季家の圧力に負けたって訳?前は勝手に好きな所いけって言ってたやんけ」

 一瞬思案顔をしたが、隠さずに喋ってしまった。

「あの馬鹿の息子がきてな。四季家の親類になる人間がちゃんとした教育を受けていないとなれば身内の恥になる。それに今後のことを考えれば百合乃下の方が進学もしやすい。と色々言いくるめられてな。確かに、その方が得があるじゃろう」

 いつもみたいに怒鳴り散らしてやろうかと思ったが、拳に爪を立てて堪えた。

 見慣れたクソ爺の顔色は青白かった。ちゃんと確かめたわけではないが、もう長くはないらしいという情報が入っていた。

「そのバカ息子って、黒いの茶色いのどっち」

 凄む様に聞くと祖父が肩を竦めた。

「黒い方じゃろうな」

「・・・何考えてんだ全く。高校で彼氏でも作ってできちゃった婚でもされるとでも考えてんの? あんたもあんただ。何であたしに一言言わない?文句の一言ぐらい言わせろ」

 頭に血が上る。何もかもが腹立たしい。

 婚約も学校も、

「わしは時代錯誤のお姫様か!? 会社だ家だを盾にどうしてここまでやられなきゃなんないのよ」

 誰一人、私に助け舟を出さない。

「当子。お前がブチ切れて婚約破棄だと向こうに訴えようが、わしはもう構わんと思っと.る。その前にワシの話を聞け。今日呼んだのはその為だ」

 立ち上がろうとした腰を落ち着かせ、正座した足の上で手をきつく握り締めた。

「ワシが死んだ後、 お前は何の後ろ盾もなく滝神の跡取りになる。その時、全部を捨てて桜さんの許へ行ってもいい、自分の好きなように会社を動かすのもいい。ただ、後者を選ぶ なら、安全パイを選んで進むのも大事だ。何の責任もなくいい生活はできるもんじゃない。そして、どれが安全かをまだ見抜けん以上、四季春夫との線は消す な」

 そんな遺言めいた事を言うな。真面目な話なんてしたくない。バカみたいに嫌味を言い合って、人を馬鹿にしろ!

 胸中で叫んでも、喉に息が詰まって言葉が出ない。今口を開けたら泣きそうだ。

 人前で泣いたのは何年前だったか・・・

「当子、近くにこい。老いぼれに桜さんには劣る顔を見せい」

 床の近くに寄って、祖父の顔を見た。

 皺がこれほど濃く刻まれていただろうか?それに、こんなに小さかっただろうか?

「顔はちっとも息子に似ていないのに、何故かお前は息子に似ておるな。バカな所がそっくりだ」

 皺々の手が頬を撫でた。

 こんな感情はいらない。



「今日は偉く静かですね」

「そう・・・?」

 やる気なく当子の声が返ってきた。

「気の滅入る様なお話だったんですか?」

「・・・・・」

 ぼけっと窓から外を眺めていた当子がゆっくりと前へ向き直った。

「今日は偉くせっつくわね」

「いつもはぶつぶつ五月蠅い方が静かだと気になりますよ」

 肩を竦める頭山の肩をじっと見た。

「・・・勝手に進路を変えられたわ。それだけよ」

 そう。それだけ、



 別に会社に固執するつもりはない。

 ただ、自分の物を他人に奪われるのも壊されるのは好きじゃない。それだけだ。

「勝手な二重帳簿は困るよ」

 呟いてノートパソコンのファイルを開いた。

 感情を殺している時は自分でも驚くほど鼻が利く。

 会社の改革はすぐにはできないが、路線は早急に変えざるを得まい。

 ホント言うと、学校なんてどうこう言っている暇はなくなる。爺さんの後を継ぐためとかは言わないが、自分なりに納得いくような事はしたい。

 それが、滝神当子だ。




 4度目の夕食に向かう車で、頭山が怪訝顔で聞いた。

「最近口数が少ないですけど、何か悩み事ですか?」

「別に」

 短く返すと、外を眺めたまま溜息をついた。

「話せば楽になる事もありますよ?」

「・・・もうじきどうせ口にするから一緒よ」

 冷ややかな口調にそれ以上は何も聞かず、ただ運転に集中する。



「今、なんと?」

 春夫が眉根を寄せて聞き返した。

「婚約はまだ正式ではありませんでしたよねと、お聞きしました」

「それは、どういう意味です?」

 着て早々の言葉に春夫は困惑を隠せなかった。

「婚約を破棄したいわけではありません。ただ、婚約者をご長男の夏深さんにして頂きたいのです」

 真っ直ぐに見上げてくる少女の顔にはジョークの色が全くない。

「なぜ急に? 冬祈が何かしましたか」

「いえ、冬祈さんは優しい方ですわ。ただ、私には優しすぎます。無論無理を言っているのは重々承知の上です。態々養子の形にして下さるとまで言って下さっていたそうですが、その条件も無論要りません。私はただ夏深さんと婚約がしたいのです」

 さらに意味がわからないと、顔を歪める。

「何故夏深でないといけないので?いくら次男とはいえ、冬祈で十分に滝神への後ろ盾に」

「後ろ盾では駄目なんです」

 にっこりと微笑むと、

「夏深さんと婚約する以上、何か交換に請求なさられても結構です。といっても、私が答えられるもの等高が知れていますが」

 流石に桜さんとあのクソ男の娘だ。何を考えているのかさっぱりわからない。

「・・・少し考えさせて頂きませんと、夏深と冬祈にも説明しないといけませんので」

「色好いお答えをお待ちします」

 今までで一番優雅な笑顔を見せられて、どきりとした。

「しばらく座って待っていてください。息子達に話してきます」



「どういう意味」

「そのままだ。冬祈、お前とではなく夏深が当子さんと婚約してもらう」

 呼ばれたと思ったらいきなりそんな事を言われて、流石の夏深ですら面食らう。

「向こうさんの要望か? そんな事までしてこっちに何の利益がある? 顔のいいだけの人形には興味ない」

「僕が何か気に食わないことした? いたって紳士的に接してきたし、向こうだって嫌な顔はしていなかった」

 二人の言い分は確かだ。

 人当たりのいい冬祈を婚約者に選んだのは少しは気苦労が減るだろうと思っての人選だった。女性に嫌われるタイプでもない冬祈は、可もなく不可もなく、結婚生活を送れた事だろう。

 確かに、潰れかける様な会社の孫娘と結婚したところで、金銭的・会社的にはそう利益が出るわけではない。それどころかひとつの手駒である夏深の結婚を潰すことになるのだ。普通なら、ノーで突っぱねる所だ。

「口答えは許さん。とにかくそう言う事だ。夏深、くれぐれも当子さんを泣かすような真似はするな。その時は勘当だ」

 バカらしいと肩を竦める夏深にそこまで突きつけると、溜息をついた。

「当子さんもこんな性格の悪い息子を選ばなくともいいものを」

「あんたにそっくりだってよく言われてるけど」

「今日は二人ともこんでいい、私一人で相手をする。次からはお前も一緒してもらう。分かったな!」

 バンと戸を閉めて出て行く父親を見送ってから、冬祈が口を開けた。

「態々あんな子供を落として、どうゆうつもりなの兄さん。又僕への面当てかい?」

「バカ言うな。結婚するならもっといい駒になる女を選ぶ。ろくに口も聞いたこともないガキをどうやって落とせって言うんだ?」

「ならどうして百合乃下に入れさせた?」

 つっけんどにに撥ねられる言葉には言い返すのに間ができた。

「唯でさえラベルがちゃっちいんだ。あそこを出れば少しは箔がつく」

「下手ないい訳だよ。不倫相手の子が下世話な人間と婚約させられるのは道理に合うけど、有能な長男をあんな子供と婚約させるなんて、どうせ父さんに裏で手でも回してたんだろ。何せ跡取り息子の頼みなんだからね」

 辛辣な言葉に口端が自然と歪む。昔からコンプレックスの塊みたいな弟だったが、今日は又自棄にはいっている。

 それにしても、確かに急に婚約者を変えろと言う要求にアッサリ答える父親の真意が全くつかめない。

 よっぽど父親が気に入っているのか、




 滝神当子の家に着いた夏深は自分自身に溜息をついた。こんな事をしている間にいくつの仕事を片付けられる事か。

「お待たせしました」

 周りの家の2・3倍の日本家屋から出てきた当子は場違いにすら見えた。これならまだウチの洋館にいる方が似合っている。

 今日は髪を下ろして清潔な白いシャツに濃紺のスカートを穿いていた。日本人とは違う可憐さをかもし出しながらやってきた当子を、顔色を変えずに見下ろす。

「私の我が儘で婚約させられることになって申し訳ありません。怒っていらっしゃるとは」

「取り合えず乗ってくれないか。こちらの機嫌が悪いとわかっているならな」

 わざとうんざりした顔で車を指した。

「助手席に座ってもよろしいですか?」

 自分の態度にうろたえるかと思ったら、顔色一つ変えずに微笑んだ。

「ご自由に」

 確かに、綺麗な子で歳不相応な落ち着きがあった。だが、興味ない。

 自分も運転席に落ち着くと、サイドブレーキをはずして発進した。

「オタクの運転手はよっぽど貧弱なようだ」

 態々迎えに行かされたのは当子の運転手が風邪で寝込んだからだという。

「・・・ご足労お掛けします」

 盗み見た表情が強張っていたのは、以外だった。

「で、どうやってウチの親をたらし込んだんだ?」

 嫌味っぽく聞くと、すいっと目線をこちらへ上げてきた。

「たらし込むだなんて。私のほうが正直不思議なんです。私の我が儘をあっさり聞いていただけるだなんて、親切すぎて少し怖いくらいなんです」

 子供の癖に臆することなく真っ直ぐに人の目を見る。嫌なガキだ。

「何で態々婚約者を俺にした? 言って置いてやるが、俺は冬祈の様に優しくないぞ」

 にっこり微笑むと、

「そちらの方が私にとって好都合なんです」

「好都合?」

 前方に注意していたため、表情が見えなかった。

「知っての通り、我が社は万年低迷。唯でさえ融資も受けにくい身、これで祖父が亡くなりでもしたら今受けている物も打ち切られるでしょう。何せこんな小娘が代替わりするんですもの」

 今までに見せていた淑やかさから皮肉んだものが覗いていた。

「確かに、私が冬祈さんと婚約しても四季家の後ろ盾は得れますわ。ただし、私が欲しい物はそれだけじゃありませんの」

 にっこり微笑むその顔をちらりと一瞥すると、昔何かのパーティーで見たことのあるあやしの様な女の人を思い出した。

「のっとりでも企んでるのか?」

「あら、それもいいですわね」

 冗談めいた笑いが帰ってきたが、どこまで本気か計りかねる所がある。

「でも、夏深さんをメロメロにするのは私では幼すぎますわ」

「ああ、残念ながらお稚児趣味はないんでね」

 しばらく、エンジンの音と走る車の外から漏れ入る音だけだった。

 わざわざこちらから会話を持ちかけてやる気はない為、当子が口を開けるまで沈黙で埋まっていた。

「私、与えられるだ けも与えるだけも好きじゃありませんの。今回私の我が儘で婚約と言うカードを頂きましたわ。もちろんおじ様のご好意なくしては嫌々でもイエスと言って頂け なかったでしょうけど、優良なカードを頂いたのは事実。おじ様にも言いましたけど、見返りはいらないと言われてしまいましたから、あなたに直接お聞きしま すわ」

「どんなカードが欲しいか、か」

「ええ」

 やっと口を開けたと思えば何とも淡々とした声だった。

「お前が得たカードと見合うものはそうないはずだ、少なくとも子供が出せるとは思わないが」

 いったん目を伏せて、少し困ったように見上げてくる。

「分割にしないといけませんね。それだと」

 意図せぬ答えに思わず笑いを零してしまった。

「分割・・・ね」

 丁度信号で止まったため、ハンドルにもたれかかって笑いを漏らす。当子を盗み見ると、きょとんと歳相応の顔をした後、くすくす笑いを漏らした。



 どこまでが狐で、どこまでが本心か分からなくなりそうだ。

 家に送ってもらった当子は溜息をついた。

「頭山は?」

 玄関先で、迎えに来たお手伝いさんに聞いた。

「それがまだお戻りには」

 心配げに言葉が返されて、気落ちする。

 素で話をできる相手が手元にいないと不安になった。女狐は外国、爺は元気がない。そして頭山は行方不明。

「本当にどこへ行かれたんでしょう。どうしましょうお嬢様、警察に届けたほうがいいでしょうか」

「平気よ。行き先の予想はついてるし、子供じゃないもの・・・その内戻ってくるわ」

 予想が間違っていれば、帰ってくる。

「あたし疲れたからもう寝る。お風呂いいや」

「はいはい。おやすみなさいませ」

 柔和な笑顔を返されると不器用な笑みを帰した。

 二階の部屋に入ると再び溜息をついた。

「思い違いよ」

 呟く反面で、ならどうしてここまで根回しをしようと動くのか疑問に思う。

 大きなデスクとベッド、それと壁の一面を埋める本。女の子らしい人形もファッション誌もない部屋で服も着替えずに眠りについた。



「それにしても、あの堅物の息子を笑わすとは流石は当子ちゃんだ。夏深と婚約させてと言われた時は正直驚いたが、何あいつは不器用だが根性はいい奴なんだ。何より当子ちゃんの様な可愛らしい子をいじめどうせる訳はない」

 今日は大口の仕事が成功していた為、いつもより上機嫌の春夫が当子の肩を叩きながら言った。

「滝神様!」

 当子が口を開けかけたとき、春夫の秘書が声を張り上げて当子を呼んだ。その声には緊張が滲んでいた。

「何だ」

 折角気分がいいのに水を差され、不貞腐れた声で春夫が聞き返すと、

「滝神源氏様が、たった今病院に運ばれたと」

 掠れた声が告げた。

 一瞬何を言ったのか解らなかった。その言葉を理解したとたん、息をする事を忘れていたのに気付いた。あの老いぼれが?・・・

 呆然とした春夫に、落ち着き払った当子が声をかけた。

「すみません。病院まで送って頂けますか?」

「あ、ああ、夏深に送らせよう。私もすぐに向かうから」

「ありがとうございます」

 落ち着きすぎて気持ち悪いとまで思える。

 病院へ向かう車の中でも、その態度は同じだった。真っ直ぐ前を見つめ、顔に焦りや心配の色を覗かせていなかった。ただ、一言も口を聞かなかった。



「残念ながら、既にお亡くなりになりました」

 病室へ入る前に、後ろから声を掛けられてびくりと肩を震わせた。

「・・・・頭山」

 ゆっくり振り返ったときの当子の顔は、消灯した病院の薄暗い電灯を受け、青白くなっていた。

「どうしてここにいるのかは聞かないみたいですね」

 当子の顔には憎悪の色があった。頭のいいこの子の事だ、自分の裏切り等薄々ながらに知っていたのだろう。

「・・・っ」

 歯を食いしばって涙を堪えているのが分かった。余程人に泣き顔を見られたくないのか・・・

 無言で病室へと入って行く後姿を眺めながら、苦笑わずにはいられなかった。

 復讐する側にしては、偉く胸が痛い。

 戸が閉まる前に当子に続いて病室に滑り込むと、年寄りの死体の前で立ち尽くす子供がいた。

 鼻声のうなり声が聞こえた。

「とんだ狸だ。てめえも、爺も」

「・・・?」

「爺さんはあんたが滝神 式部の孫だとあたしがあんたを雇う前から知っていたわ。そして、自分が死んだらあたしにじゃなくあんたに会社が渡る事も、そうなるように色々と根回しをしている事も爺さんは知ってて知らん振りしていたんだから、一番の狸ね」

 くるりと向き直る当子の目からは、拭いもしない涙が流れていた。

「あたしが素直に爺の遺産をやるとでも?」

 負け惜しみに聞こえないのが怖いよ。

「我が儘を言っても無駄ですよ。あなたは四季家に嫁ぐか桜さんの許へ行くかの二択しかないんですから」

 涙を流す目が真っ直ぐに見据えてくる。

「バカね。選択肢なんて山とあるわ。あんたに考えて貰うまでもない」

 この子が桜さんの子供でなければこんな気持ちにはさせられないのだろうと、思った。

 薄い唇を歪めて、

「どちらが雇い主か、わからせてやる」

 もう一度源氏の亡骸に向き直ると、「根性悪のエロ爺」と消え入る声で毒づいた。

 大股で部屋を出て行った。

「これだから、泣かせたくなる」



 手が震えている。

「このままじゃあ車には戻れんな」

 腫れぼったい目を押さえて鼻を啜った。

 最後くらい飛び切りの罵声を浴びて逝け。

 父親がいない事で泣いたことはなかった。知りもしない人の為に泣けるほど優しくはない。父親よりも、小さい頃から喧嘩ばっかりしてきた祖父のほうが大好きだった。

 大嫌いで、大好きだった。

「ばかぁ」

 憎まれ口を叩いて叩かれて、馬鹿にして馬鹿にされて、大好きで大嫌いで、

 大切なお爺ちゃん。

「化け物並みに長生きしてよぉ」

 声が震えた。

 きっと今、滅茶苦茶ブスだ。



 タクシーが帰って、連絡も要れずにそのまま寝た。とても頭が回らない。




 時計を一瞥した。あまりに遅いと、見に出ようとした時窓をノックされた。

「お姫様ならもう帰ったよ」

「お前・・・」

 夏深は溜息に近い声を漏らした。